寄稿文  神戸を訪ねて  
                           札幌市  喜田信代

 煉瓦大好き人間として、震災を受けた街の煉瓦造建築を一度は自分の目で見たいと思っていました。明け方のテレビの画面に釘付けになり、友人知人の安否を確かめたのがつい昨日のことのように思い出されます。煉瓦のことが気になりながらも、4年前には煉瓦造建築がどうなっているかななど尋ねられる雰囲気ではありませんでした。「煉瓦造建築は地震に弱い」と、これでまた駄目押しがされるに違いないとは思っていました。平成11年(1999)7月、やっと神戸を見学することができました。メリケン波止場の一画が震災の現状を僅かに伝え、街のあちこちに今も空地が目立ちますが、震災後は10年では元に戻らないだろうといわれた街並みはみごとに復興していました。
 尼崎のユニチカ記念館は煉瓦造2階建て、英国式事務所といわれる様式は簡素ながら天井が高くどっしりとした風格があり、明治33年(1900)建設の旧尼崎紡績株式会社本社事務所です。工場はのこぎり屋根の煉瓦造建築でしたが、戦災で被害を受け、その後敷地も都市計画で縮小されてきました。ここは、阪神淡路大震災の時は、2階の展示品とともにコップに入れた水もこぼれなかったほど被害もありませんでした。
 観光地神戸の顔は北野の異人館です。旧トーマス邸は国指定の重要文化財で風見鶏の館として親しまれています。外壁が煉瓦の建物は震災では大きな被害を受けたようですが、現在は煉瓦も落下防止のために一つ一つをステンレスの線で結びつけてあるといいます。洋館には暖炉があり、その煉瓦の煙突はシンボルとなっています。風見鶏の館、萌黄の館、ラインの館も、相楽園にあるハッサム邸ももとの煙突はポッキリと崩れ落ち、震災のシンボルとしてそのまま展示されていました。「煉瓦」にこだわる視点からは、このようにみごとに修復された観光地で、煉瓦の煙突だけが震災の煙突だけが震災のシンボルとして展示されることが震災を伝える適切な展示なのか少し疑問に思いました。神戸地方裁判所は明治37年(1904)建築2階建の外観を残して、ハーフミラーのカーテンウォールを組み合わせ、平成2年(1990)5階建に生まれ変わり、明治の建築が21世紀に生かされることになりました。兵庫区にある石川商店は明治38年(1905)建築の塔屋がある建物ですが、昭和10年(1935)東京倉庫から石川商店が買い取ったものです。この地域は埋め立て地だったというのですが、震災では大きな被害を受けています。建て替えという話もあったといいますが、OBの赤煉瓦に対するこだわりが大きく、修復されて残っています。下山手にある栄光教会も大きな被害を受け、結局は解体され、現在は仮設のテントになっていました。相楽園の厩舎やハーバーランドの煉瓦倉庫、市役所前に展示されている居留地時代の下水管などもあります。震災の影響がどうだったのか、慌ただしく歩き回るだけでは目立たない位すばらしい復興でした。そのパワーを感じさせる煉瓦プロジェクトが、三宮のアーケードにあります。復興の祈りを刻んだ煉瓦が舗道に敷かれ、足元からメッセージを発信しています。
 煉瓦の見学を重ねてきましたが、今年の末には日貿出版社から本にまとめられることになりました。舞鶴では馬場さんにお世話になりました。皆様に感謝しながら原稿を整理しています。その節は宜しくお願い致します。(平成11年9月1日)
参考資料:『KOBE 異人館』神戸市教育委員会 神戸市広報印刷物登録 平成10年度第413号(A−1類)

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