赤煉瓦倶楽部・舞鶴
寄稿文 舞鶴の赤煉瓦を訪ねて 札幌市 喜田信代

 京都から綾部までいくつかの煉瓦のトンネルを抜ける山村の風景は、本当にこの先煉瓦に遭えるのかしらと心細くなりましたが、西舞鶴から市役所に向かう北吸地区に並ぶ煉瓦造を見た時には、頭スッキリ、目もパッチリ、「アルアル,アッタ」と浮き足立ちました。
 舞鶴市に行きたい…と思ったのは世界で初めての「赤れんか博物館」があると知った時からです。
 明治36年旧舞鶴海軍兵器廠魚型水雷庫として建設された煉瓦造は資料館として再生され、世界の煉瓦が展示され、大量生産の煉瓦焼成窯のモデルがありました。日本の煉瓦には囚人煉瓦のイメージが重なりますが、世界の煉瓦はどうだったのでしょうか。
 天平の煉瓦、磚には鳳凰がデザインされ、メソポタミアの煉瓦には楔型文字で、煉瓦の壁で聖なる地を建設したとあり、外国の古い煉瓦に刻まれた絵や文字は少し高尚な雰囲気を伝えているような気がしました。
 神崎に残るホフマン窯も貴重なもので、由良川の水運を利用したこの窯は10本の小煙突と、大きな1本の煙突が目印です。
 夏草に覆われた薄暗い窯の中で目をこらし、四角い投炭口や、焼成室、中の仕切り壁も一緒に歩いてくれた事務の女性のお陰で確かめられました。
 壁の厚さは90cm程で、ひんやりとした窯の中では、ここで昼寝をした職人さんもいたと聞きました。
 朝の散歩で出かけた北吸の隧道は格別でした。
 通勤、通学の人が行き交う中で子供連れも見られ、130歩程で通り抜けられる隧道の中は少し声がこもってこだまします。
 竹のささやきと蝉時雨が 印象的な赤煉瓦の隧道を毎日通う子供はどんな思い出を重ねて成長するのでしょうか。
 配水場や、明治22年に造られたという円隆寺の煉瓦道にも海軍らしさとハイカラな雰囲気を感じます。
 今も海上自衛隊の基地があり、旧海軍の鎮守府のおかれた町。舞鶴湾には幾隻もの艦艇が停泊していました。
 旭川市をモデルにしたという町の通りには戦艦の名前がつけられ、交差する通りには巡洋艦の名前がつけられているといいます。
 海上自衛隊の官舎はしゃれた洋館で、屋根の鬼瓦には錨のマークが付けられていました。
 舞鶴の町には、表から見ただけでは分からない海軍さんとの関わりが暮らしの中に溶け込んでいるのかも知れません。
 古いものを残すだけが良いとは思いませんが、壊してしまえば歴史も風化が早まります。
 明治、大正の海軍の遺構の赤煉瓦の建築は几帳面な煉瓦積みで、補強され、化粧され、新しく町のシン ボルに生まれ変わっていました。
 赤煉瓦の市政記念館の喫茶コーナーで静かな時を過ごしながら、舞鶴に来て本当に良かったと思いました。 (1998年8月3日)
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