赤煉瓦倶楽部・舞鶴
寄稿文 京都市山科区 斎藤米子

 水野先生のシリーズ物、毎回興味深く読ませていただいております。
 建築材料としての「煉瓦」にまつわる話題の豊富なこと、切り口の面白さに、あっと驚くことしばしばです。
 ところで、最近、主人の実家(岸和田)の母屋を整理していて、小さな古い硯と筆を見つけました。
 持ち主、即ち使っていたのは多分山岡尹方(ただかた)と思われます。
 山岡尹方は明治5年(三十才)に岸和田地方の良質の粘土に着目して、藩の練兵場跡を利用して、「煉瓦工場」を経営しましたが、所謂「士族の商法」のご多分にもれず、経営は一時瓦師たちの手にゆだねられましたが、明治21年、煉瓦会社として組織されると社長に推され、製品は世間の好評を博するようになりました。
 当時の彼の日記(受注メモ、明治30年6月〜35年)も大切に保存されています。
 それには、鉄道、電燈会社、化学会社、銀行、裁判所、水道関係にまじって、呉海軍(明治35年)、舞鶴海軍(明治34年)も名を連ね、小さな字で毛筆でしたためられており、注文をうけた時の彼の緊張と気持ちの高ぶりを思わずにはおれません。
 日本がまさに近代化をとげようとしている時、地方都市の岸和田がどの様に、かわってきたか「硯」を前にして彷彿としてきます。
 でも日本のあちこちで、明治の記念物が、古いという理由だけで、取り壊されようとしています。
 文化財に対する考えが少しづつ変容しているとはいえ、残念なことです。
 活力にみちた明治時代の先達のたゆまない努力のあとに、私たちは何かを感じ、知り、学び、古いものにも市民権を与えたいと思います。
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