新しくできた西駅交流センターに、五老岳からの眺望を描いた横幅10mほどの陶壁画があります。まいづる大使で備前焼作家の岡田輝氏の作品「舞賛燦(まいさんさん)」で、太陽が照り輝く舞鶴湾にオオミズナギドリが飛び交い、市民や舞鶴を訪ねて来る人々の交流の様子が表現されており、舞鶴の玄関口にふさわしい大作となっています。
 実は舞鶴はこの備前焼と古くからつながりがありました。江戸時代初期、備前焼陶工の交流をうかがわせる焼物が残っているのです。
備前陶工最古の年銘細工物
 市内長浜に残る陶製の狛犬は、阿形、吽形1対のもので、像高は31センチ、32センチ。狛犬とは神社の社殿の前に向かい合わせに置かれる一対の魔よけの像で、宮獅子(じし)とも呼ばれているものです。この狛犬は、茶褐色の肌を持つ備前焼風の焼き締め陶で、あばら骨が浮き出た細身の体系、そして人間くさい奇妙な表情をみせています。
 二体とも腰には「あこ村ニおき ひせん徒本やき衆 き志ん仕申也」「慶長十八年 八月十五日」(1613年8月15日)のへら書きがあります。「あこ村」は、安久村の古名で、「ひせん」は備前国をさし、「徒本やき衆」は、「壷焼き衆」のことで、文意は“安久村で、備前の国から来た壷焼き衆が、この狛犬を焼いて高倉神社に寄進した”ということです。昔は、新しい窯がつくられたとき、初窯の作品とともに狛犬などを焼いて神社に納め、その窯の成功と工人の安全を祈ったといわれます。
高倉神社の狛犬
高倉神社の狛犬(市指定文化財)

 備前焼は、豊臣秀吉の時代に朝鮮から釉薬陶や磁器製造の技術が伝わり、各焼物の産地が釉薬物へと転向する中、摺り鉢、甕、壷、徳利と茶華器では日本一の品質と生産量を誇っていたことや、原土の収縮が大きいことから、釉薬陶へは転換しませんでした。しかし、この選択は、備前の人気を落し、次第に釉薬陶に奪われていきました。そして苦難の末作り出したのが、江戸初期からの「細工物」でした。江戸中期からは備前の中心品種となり、江戸時代後期の寛政年間(1789〜1801年)から型作りの大型宮獅子が盛んに作られ、全国に広まりました。
 備前焼の紀年銘細工物は、元和5(1619)年の「釣灯籠」、狛犬では備前市木谷、天神社にある貞亨3(1686)年の像(岡山県指定文化財)が最古とされていましたが、平成8年に備前市の備前焼紀年銘土型調査委員会メンバーの備前焼研究家目賀道明氏により、高倉神社の狛犬は備前で作られたものではありませんが、備前焼陶工が手掛けた紀年銘の細工物では最も古いものであると確認されています。
 また、高倉神社の狛犬は型を使っておらず、同じく手びねりの天神社の狛犬が細工の精密な手慣れた仕事なのに対し稚拙であり、原始美術に通じる素朴で土俗的な表現が、備前で作られた狛犬とは際立った相違をみせています。
安久焼と備前
 江戸時代に「安久焼」と呼ばれる焼きものがこの地方にあったことは、農山村や漁村部に残る生活雑器の焼きものの名によって知られていました。この狛犬のへら書きから、その焼きものを焼く窯が安久村につくられ、そのつくりはじめは、備前の国から来た工人によったものであり、その初窯の狛犬が、高倉神社に納められたのは、窯が築かれた場所が、高倉神社の氏子圏内の村であったことを示しています。
 この安久の地名から、安久焼の窯のあった場所は、上安久、下安久の地域であろうとみられ、この窯跡の推定地は、日星高校裏の山麓とされてきました。しかし、平成の時代になって、偶然の機会から、その窯跡と明確にいえる遺跡が発見されました。
 平成2年から4年にかけて、東西吉原区の下水道改修工事が行われました。このとき、住宅地の中央部に位置する「春高稲荷神社」周辺の下水工事によって陶器片が数多く出土し、平成4年には、神社の境内が調査されました。
 社務所前の東半分と上段の大師堂南西の工事現場からは、あきらかに窯が築かれていたものとみられる焼土、窯体(窯本体の部分)と、数多くの摺り鉢、壷などの陶器片が発見されました。
春高稲荷神社 出土品
春高稲荷神社 出土品

 摺り鉢は、備前焼の系統をひいた形をしていて、備前壷焼き衆が開いた「安久焼」の窯跡は、吉原の中央部であるこの春高稲荷神社の谷一帯であることがわかりました。また、この谷の古地名が「つぼや谷」であることも、これらの事実を裏付けることとなりました。
 へら書きにある慶長十八年(1613)という時代は、田辺籠城戦のあと、細川氏と交代して入部した京極氏の時代です。当時、丹後を領していた宮津藩主京極高知の長子高広の妻が、姫路藩主池田輝政の娘。輝政の二男忠継は慶長8(1603)年、備前国を賜っており、池田氏と京極氏の縁戚関係から備前陶工が招かれたと考えられています。
 また、池田光政が寛永13(1636)年、御細工人制度を設けて備前焼を保護・規制しており、陶工が他国へ出かけることはなくなり、高倉神社の狛犬は当時の交流をうかがわせる数少ない細工物となっています。
 このほか、安久焼と伝えられる陶製の狛犬は、現在のところ、松原神社(三浜)、西飼神社(地頭)等で確認されています。

参考文献
 舞鶴市郷土資料館 『舞鶴の狛犬』 1989年11月
 山陽新聞 1996年5月9日付記事
 舞鶴市民新聞 『松本節子の舞鶴・文化財めぐり』 
 平凡社 『日本やきもの集成 5 京都』 1981年1月

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