赤煉瓦倶楽部・舞鶴

水野信太郎の赤煉瓦小ばなしVol.23
シリーズ「煉瓦と洋画」
3 『マイ・フェア・レディー』と『ウエストサイド物語』 


 邦画では皆無というほどお目にかからないのに、洋画ならば厳然と確立されているのがミュージカルです。ここではオードリー・ヘップバーンの『マイ・フェア・レディー』とナタリー・ウッドの『ウエスト・サイド・ストーリー』を紹介しましょう。これらの映画は、修道女マリア役のジュリー・アンドリュースが7人の子供たちと歌ったドレミの歌で有名な『サウンド・オプ・ミュージック』と合わせて“三大ミュージカル”と呼ぶ事が許されると思います。更にバリ島を舞台にした『南太平洋』が、これらに続くでしょう。
 またミュージカルと言えば“雨シリーズ”もあります。歌声が美しく容姿もチャーミングで心やさしい一人の女性声優の御話し『雨に唄えば』ですとか、ボール・ニューマンが自転車に乗りながら口ずさむ“雨にぬれても”の挿入歌のある『明日に向かって撃て』などが思いおこされます。話題を“ミュージカルと煉瓦”に戻しましょう。但し、その前になぜ洋画の世界でミュージカルが成立したのでしょうか。次のような証言があります。
 テレビに娯楽界の王座を奪われた映画人たちが、その対抗策として選んだ道はテレビでは不可能な作品をつくり出すことであった。アメリカ合衆国でさえも1950年代には観客総数が半減した。選択肢はミュージカルとスペクタクルだが、後者には問題があった。
 無闇にインディアンを敵役だと設定することが許されるような時代ではなくなっていた。
 (中略)そもそもミュージカルをミュージカルに育て上げたのは「ジーン・ケリー、ス
 タンリー・ドーネンそれにヴィンセント・ミネリ以外にないといえよう」
とは映画評論家・三木宮彦氏の言です。(山田和夫監修『映画論講座第二巻 映画の歴史』合同出版、1977年、P−222より)
 そのようなミュージカルですが私の最も好きな作品は、イギリス版シンデレラ物語とも言える『マイ・フェア・レディー』です。ロンドン、コペントガーデンの花売り娘イライザ(オードリー)は貧しく教養もない乙女でした。けれども言語学のヒギンズ教授によって、ー流の言葉遣いと美しい振舞いを身に付けます。そしてドレスを着飾ってダンスパーティーへと出掛けます。彼女が訓練を受けた場が、赤煉瓦のヒギンズ教授宅でした。
 一方、現代アメリカ版ロミオとジュリエットが『ウエストサイド物語』です。シャーク団とジェット団は、ニューヨークで憎しみ合う両家ならぬ2つの不良グループ。このミュージカル、音楽監督はあのレナード・バーンスタインです。映画の冒頭キャスト(配役)やスタッフの名前が、壊れかけた煉瓦の壁にチョークで手書きされて映し出されます。それは悪戯坊主たちの落書きという設定です。閑静で良好な住宅街(マイ・フェア・レディーの煉瓦タウン)を構成する赤煉瓦と、はたや不良少年たちがたむろするスラム化した煉瓦街(ウエストサイドの瓦礫)。どちらも煉瓦の姿であることには変わりありません。
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