赤煉瓦倶楽部・舞鶴

水野信太郎の赤煉瓦小ばなしVol.20         
シリーズ「煉瓦と乗り物」
4 SLは煉瓦のベスト・カスタマー?!


 さていよいよ、この煉瓦と乗り物という一連の小噺(こばなし)も最終回となってしまいました。今回まで船、自動車、そして宇宙ロケットや飛行機などの乗り物を登場させて煉瓦との縁をお話してきました。ところがオッとどっこい。大事な人をじゃなくて、大事な乗り物を忘れちゃあいませんかてんだ、と言うような声が聞こえてきそうです。そうです、煉瓦にとっては第一のお得意様(ベスト・カスタマー)が残っておりました。それは蒸気機関車や電気機関車などの列車が走る線路、つまり鉄道でした。
 本年(1999年)10月9日(土)から同月31日(日)まで舞鶴市赤れんが博物館において開催されます企画展示も、実は鉄道と煉瓦を取り上げたものです。題して「旧新橋停車場と赤れんが 明治時代の鉄道をふりかえる」という企画展です。
 一般的に赤煉瓦と呼ばれる材料は、建設用として広く使われる煉瓦です。これは建築用煉瓦、または普通煉瓦とも呼ばれます。普通の煉瓦ではない特殊な煉瓦は耐火煉瓦のことで別名、白煉瓦(しろれんが)とも言われます。耐火煉瓦を生産している工場にとって製品を買ってくれる御客様は、溶鉱炉をもつ製鉄所などです。けれども赤煉瓦の製鉄所から見た最大の御得意様は、建築業界ではなく鉄道建設の分野でした。建築用煉瓦と言う名前でありながら、本当は土木用煉瓦と言う方が、ずっと的を得ている感じだったのです。
なるほど土木構造物は、そのスケールにおいて建築物の比ではありません。特に鉄道の分野では明治初年以降、大正時代後期まで煉瓦が膨大に消費されました。まず第一に煉瓦のアーチ橋などです。関東地方から長野県の軽井沢へ抜ける碓井峠(うすいとうげ)のアーチ橋群は国の重要文化財に指定されたほどです。桁(けた)式の橋(細長い直線材を、水平方向に掛け渡したスタイル)でも、橋脚は煉瓦を積んで造られました。そのほかトンネルの蒲鉾(かまぼこ)天井は煉瓦ですし、プラット・ホームも元来は煉瓦積でした。
 それから汽車つまりSLをしまっておくための車庫も煉瓦造でした。蒸気機関車は煙突から火の粉混じりの煙を吐いてガレージ入りするわけです。ですから火災防止の目的から煉瓦造の機関車庫が建てられました。また赤れんが博物館の前庭へ移築されている花壇のような“灰落とし”部分も煉瓦でつくられたものです。
 意外なことに鉄道は当初、旅客用列車ではなく石炭を運搬するための手段として敷設されていきました。スティーブンスン父子が発明したロコモーション号も、イギリスの炭鉱において貨車用として実用化されていったのです。世界最初の鉄道がそうであったように、同様の歴史が日本にもありました。わが国では北海道で実践されました。北海道中央部の山間部で発見された幌内(ほろない)炭鉱の石炭を小樽港から搬出する目的で建設された鉄路が幌内鉄道で、明治13年に小樽〜札幌〜江別〜岩見沢〜幌内(三笠市内)を結びました。この鉄道が現在のJR函館本線ですから、北海道の生命線とも呼ぶべき線路になっています。今なお小樽交通記念館として煉瓦造の旧・手宮機関車庫を保存しています。
 北海道の幌内鉄道は日本で3番目の線でした。1番は新橋・横浜間鉄道、2番目は阪神間鉄道です。両者は旅客中心の路線でしたから、現在で言えば東海道山陽新幹線のぞみ号か近未来で言えばリニア・モーターカーに相当するでしょう。あくまでも人を運ぶ鉄道でしたから東京と横浜あるいは大阪と神戸という大都市と国際港が鉄道が開通した後も、物資の運搬の主流は鉄道輸送ではなく船による水運であったと思われます。
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