赤煉瓦倶楽部・舞鶴

水野信太郎の赤煉瓦こばなしVol.7
シリーズ「煉瓦と日本文学」
3、近代日本の新天地・北海道の煉瓦


 わが国において、赤煉瓦は、明治という新しい「文明開花」の時代に華々しく登場しました。ところが、明治時代には煉瓦だけでなく、多くのものがこの時代から新たにスタートしています。なかでも量的に、その広さにおいて日本で最大のものは蝦夷地すなわち北海道の大地でした。正しく新天地・北海道そのものが、近代日本の申し子だったのです。
 極論しますと、北海道には鎌倉・室町・江戸時代のいわゆる日本建築は建てられませんでした。それもその筈。武士階級が支配していた時代には、まだ蝦夷地に日本人が本格的に定住していなかったのですから。北海道に大量に建物が建ち始めたのは、明治建築からです。当然、洋風建築。そのうえ寒さが厳しいですから、壁厚の厚い重厚な西洋館を、となれば煉瓦しかありません。そうです北海道には相当量の煉瓦工場が存在しました。
 数ある煉瓦製造の工場主の息子が、一人くらい文学者となったとしても不思議ではありません。現に久保組煉瓦工場の息子であった久保栄(さかえ)が、その実例なのです。 
 手元にある久保の書籍を紹介しましょう。一冊は『のぼり窯』久保栄著、昭和27年3月20日、新潮社発行。もう一冊は『ロマンのぼり窯』、久保栄著、小笠原克編、1973年9月23日、北方文芸刊行会発行です。前の方の本はハードカバーで、しかも厚紙製の箱まで付いています。そして本にも箱にも淡い色刷りの印刷で、北海道の原始林の風景が描かれています。この本は、久保が書き上げた、のぼり窯の一部「機械場びらき」という小説だけで構成されています。二冊目は同じ内容を再録した上で、更に150余ページの紙数を割いて久保の人物論、作品評、座談会の記録、技術的視点を載せています。こちらの本は前冊より厚いのですが、表紙は腰のある紙とはいえハードカバーではありません。ですが、別のカバーがあり、それには古写真が赤い色調のモノトーンで印刷されています。その構図は遠景の「のぼり窯」を背景にして、手前にある天日乾燥中の煉瓦素地の林(列)の中を、トロッコのレールがこちらから向う側へ真っ直ぐに伸びている写真なのです。
 結束した煉瓦を天秤棒で運び上げてゐる男たちが、近くへ来た禮太郎に挨拶し直した視線の尻を、じろりとこっちへ向ける中を通り抜けてゆくと、道は小橋一つを渡って、急にひっそりとした四角い地面へ出る。それを圍んで、事務所や炊事場や(中ほど省略)
 今でこそ、行きずりの旅行者の記憶にも、延廣(のぶひろ)の地名と煉瓦工場とが結びつくやうになったが、もともとの部落は、線路を挾んで工場とは反對の側にある屯田兵の開墾地から開けたので、驛の本屋(ほんをく)もそつちの側にあり、車窓からは、見えないが、毎朝、禮太郎が廻らずに濟ます改札口を出たところには、屯田の記念に雪國らしい針葉樹を植ゑた(略)
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