赤煉瓦倶楽部・舞鶴

水野信太郎の赤煉瓦こばなしVol.5
シリーズ「煉瓦と日本文学」
1、夏目漱石を継ぐ人々

 年が改まりましたので、このシリーズも新たな話題を始めたいと思います。なにせ、文章で皆様にお伝えしようというのですから、同じように文字で表現される詩や、小説の世界を紹介することにしましょう。題して、シリーズ「煉瓦と日本文学」。ところが、日本文学とは言っても、わが国では煉瓦それ自体が幕末・明治以降でないと登場してきませんので、それ以前の例えば中近世文学の中で煉瓦が扱われるようなことは決してなかった訳です。
 したがいまして、ここでいう日本文学とは近代文学のことです。明治以来、現在まで続いている一本の文学的山脈があります。夏目漱石・芥川龍之介・堀辰雄・立原道造・中村真一郎という5人の小説家・詩人たちです。漱石は、明治維新一年前の慶応3年に江戸で生まれ、大正5年すなわち明治49年に東京で没しました。まさしく、明治時代そのものの半世妃を、文明開化の帝都で生きた人です。明治の東京を象徴的に表現するのが、他ならぬ赤煉瓦の建築だったのです。漱石の最晩年の門下生が芥川で、彼の唯一の直弟子が堀辰雄でした。その堀に育てられながらも、24歳の若さで肺結核のため早逝したのが、立原道造。室生犀星・堀辰雄門下で、立原の後輩になるのが、中村真一郎です。
 彼ら5人は、文学上の師弟関係があるのみならず、共通して煉瓦との縁をもっていました。全員東京出身で、赤煉瓦を目にして成長しました。さらに、芥川、堀、立原の三人は、関東大震災で煉瓦が崩壊するのを経験しています。その結果、芥川は精神的痛手を受け、堀は母を亡くし、立原は家を失って疎開しました。5人の共通点はそれだけでなく、建築への強い思いです。漱石と真一郎は若き日に建築家になろうとしましたし、龍之介は異国趣味の西洋館が好きで、文学者といえども科学への関心を持つべきだと語りました。弟子の辰雄は高等学校では理科を専攻し、道造にいたっては自分自身が建築学科出身だったのです。
 話を漱石に絞りましょう。漱石の初期の代表作に「三四郎」という作品があります。漱石が帝国大学の煉瓦の校舎を詳細に描写していますので、最後に紹介して結びとします。

 銀杏の並木がこちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には、少し退がって博物の教室がある。建築は双方とも同じで、細長い窓の上に、三角に尖った屋根が突き出している。その三角の縁に当たる赤煉瓦と黒い屋根の接目のところが細い石の直線でできている。そうして、その石の色が少し蒼味を帯びて、すぐ下にくる派手な赤煉瓦に一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と高い三角が横にいくつも続いている。三四郎は、このあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物を有難く思っていた。・・・(後略)
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