赤煉瓦倶楽部・舞鶴

水野信太郎の赤煉瓦小ばなしVol.3  
シリーズ「煉瓦と地震」
3、もしも地震国でなかったなら

 わが国は極端な地震国です。日本中のどこで地震が発生しても不思議ではありません。これは私たち国民が、いかに地震を嫌い、この事実から目をそらしても少しも解決へは近付きません。気が重くなってきましたので、話の矛先を変えたいと思います。
 もしも、日本が地震国でなかったら、かなり状況が違っていたでしょう.元来、歴史の検証をする時に仮定の話は全く意味がないと言われますが、元々この小ばなしがそれほど意味のあるものだとも思えませんので、大目に見ていただいて少し想像の翼を広げたいと考えます。
 もしも地震国でなかったら、これほど煉瓦や煉瓦建築の少ない国になってはいなかったでしょう。もしも地震国でなかったら、法隆寺は煉瓦の建築になっていたかもしれません。もしも地震国でなかったら、姫路城はきっと煉瓦でつくられたに違いありません。個人的な想像ですが、日本人はさんざん煉瓦の建物を建てたと思うのです.けれども再三やってくる地震に痛めつけられて、やっぱりこの国で煉瓦の建築は不向きだと悟ったのでしょう。
 さて煉瓦を建てた時代とはいつのことでしょうか。三つの時代です.西暦538年と西暦1549年と西暦1868年の、それぞれ後です。
 最初の538(御参拝とおばえます)年は仏教が伝えられた年です。この時に瓦博士や露盤博士も来日して、煉瓦(磚)建築を教えてくれます。おそらく煉瓦で仏教建築を建てたと思うのです。しかし地震で壊れました。地震さえなければ中国にある磚でできた塔のように、法隆寺も煉瓦でつくられたとは想像できませんか。
 二番日の1549(以後よく広まるキリスト教)年はフランシスコ・ザビエルが来日してキリスト教を布教開始した年です。これは西洋文化との出会いを意味します。当然、煉瓦建築の技術が導入されます。一方、建築的にはこの時代に天守閣と茶室が発明されます。茶室はともかく城郭建築は軍事施設ですから、種子島(鉄砲)の玉を防ぐ目的から、窓は小さめにして壁は厚ければ厚いほど有利です。これは正に西洋建築、言い換えれば壁の建築なのです。地震さえなければ煉瓦で積み上げれば良いのです。そのうえ煉瓦は技術最新情報として導入されたばかりでしたし、お誂え向きに煉瓦は燃えません。城の材料としては最適でしょう。
 事実、1868年の明治維新以降は全国の砲台など大半の軍需施設が煉瓦でつくられたのです。
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