赤煉瓦倶楽部・舞鶴

水野信太郎の赤煉瓦小ばなしVol.2  
シリーズ 「煉瓦と地震」
2、日本の地震


 今回はわが国において発生した地震をふり返ってみたいのですが、煉瓦との関わりを見るので、日本に煉瓦建築が建てられるようになった後の地震に限りたいと思います。このように時代を区切りますと、幕末明治維新以降の近現代ということになります。
 ここでは5件の地震を取りあげます。地震のエネルギーすなわちマグニチュードが内陸で最も大きかった濃尾地震、死者が最大でしかも桁違いに多かった関東大震災(地震名としては関東地震)、震源地が舞鶴に非常に近かった北丹後地震、敗戦後まもない復興途上の都市を襲った福井地震、そして本年の阪神淡路大震災(同じく兵庫県南部地震)の5地震です。
 以上の5つの他にもとりわけ注目に値する地震がありますが、少なくとも先にあげたものはどれも歴史に残る大事件でした。
 順に見ていきましょう。最初の濃尾地震は明治24年(1891)10月28日の朝6時過ぎに発生しました。マグニチュードは8.0とも8.4とも伝えられ、わが国で記録された最大の地震エネルギーであったという人さえいます。震源が岐阜県根尾(ねお)村の根尾断層でしたので、岐阜・愛知両県にかけて多大な被害が出ました。村によっては社寺を除く民家が全て倒壊したという集落もあったそうです。
 煉瓦建築の被害で有名なのは、明治20年 に新築されたばかりの名古屋郵便電信局という本格的様式建築が崩れたことです。これは佐立七次郎(さたち しちじろう)という工部(こうぶ)大学校造家(ぞうか)学科(東大建築の前身)第一回卒業生が設計した赤煉瓦むき出しの2階建でしたが、地震で大破(宿直など3名死亡)し、竣工後わずか4年で取りこわされました。なお佐立の同級生は辰野金吾(たつの きんご:代表作・東京駅)、片山東熊(かたやま とうくま:同・赤坂離宮)、曽禰達蔵(そね たつぞう:同.慶応大学図書館)の3人です。濃尾地震全体の死者は7000人余でした。
 大正12年(1923)9月1日正午直前の関東大震災はマグニチュード7.9で死者は14万3000人弱でした。昭和にはいって最初の大地震が日本海側で発生(昭和2年3月7日)。これが北丹後地震で死者3000人、マグニチュードは阪神淡路大震災を上回る7.3でした。戦後初(昭和23年6月28日)の大地震も日本海側でした。マグニチュードが7.1または7.3と記録される(資料によって異なります)福井地震です。この地震による死者は4000人近くにのぽりました。
 そして平成を迎えてしばらくすると、この度の阪神淡路大震災が大都市を襲いました。マグニチュードは7.2ですが、5500人以上の死者が出たのです。この地震、煉瓦専門家の端くれとしては、次のような心配をしています。近代以降地震の比較的少なかった関西地方の人々が、煉瓦建築を保護する気持ちをなくしてしまったのではないかと。大多数の人々が関東大震災で煉瓦造建築を新築するのをやめたのと同じように、阪神淡路大震災で煉瓦建築保存運動の火が消えてしまわないかと気がかりなのです。
 地震は規模を示すマグニチュードも注目に値しますが、被害の大小は地震発生の時刻・タイミングがより大きな要因となります。津波はともかく、火事は人為的な素因が少なくありません。冷静な判断と勇気ある行動で、人命と建物を無益な火災から守りたいものです。
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