Antoni Gaudí
(1852〜1926)
晩年のガウディ
ガウディのサイン

 ガウディは今でこそスペインいや、近代の建築やアートの世界でその評価が高く認識されているものの、生前はむしろ孤高な生涯をおくっている。田舎町に生まれ、建築家になるために大都会バルセローナに出るが、しょせん鍋細工師の息子だった。生涯のパトロンとなってくれた実業家で、のちに伯爵のタイトルをもらうエウセビ・グエル(Eusebi Güell、1846〜1918年)以外は理解者もほとんどいなかった。同時代の代表的な建築家になれなかった理由はいろいろあるのだが、ガウディの建築が時代をあまりに越えていたからだ。
1852年 6月25日スペインのカタルーニャの地方都市に生まれる。
1853年 ペルー浦賀に来日。
1863年 レウスのエピスコラピオスの中学校へ入学。
1864年 四国連合艦隊下関砲撃
1867年 手書きの学校誌『エル・アルレキン』のイラストを描く。
1868年 明治維新
1869年 地方都市のレウスからゴールド・ラッシュを迎えていた首都バルセローナへ移住する。
建築学校入学のためバルセローナ大学の予備講座入学。
1873年 新設されて間もないバルセローナ県立建築学校へ入学。
同校在学中に師のビジャールの事務所でドラフトマンとして働く。その他フォンセレ、マルトレイの事務所でも働き、貧しい家計を助ける。
1878年 エンリック・ジロッシのために繁華街ラス・ランブラス通りのキオスク計画。
サン・ジェルバシの劇場のための鉄柵工のデザイン(実現しない)。
建築学校卒業、建築家のタイトルを得る(3月15日)。
パリ万博用に手袋商コメージャスのショーケースをデザインする。
このショーケースを見たグエルは義父がカンタブリア地方のコミージャスで建設していた礼拝堂用の家具のデザインを依頼。
レアル広場の街灯のデザインをバルセローナ市から依頼される。
労働者時代のスピリッツを反映したマタロ協同組合計画(一部を除き実現しない、83年まで)。
1879年 薬局ジベルトの設計(実現しない)。
科学遊覧カタルーニャ協会に加盟。以降この会のメンバーとともにかつてのカタルーニャであった南フランスなど各地を訪問。
サン・アンドレスのヘスス・マリア教会礼拝堂計画(実現しない、81年まで)。
1880年 バルセローナ街燈計画(エンジニアのジョセップ・セラマレと協働、実現しない)。
タラゴナのヘスス・マリア教会の礼拝堂をデザイン(82年まで)。
ベジョック侯とともに労働省主催の産業美術博覧会を企画。
1881年 バスク地方サン・セバスティアンのカジノのコンペに参加、落選。
アルフォンソ]U世コミージャス訪問の記念パビリオン。
1882年 グエルの依頼によるガラーフの狩猟小屋計画(実現しない)。
未完だったバルセローナのカテドラル・ファサードを決めるコンペにドラフトマンとして参加(マルトレイ案、落選)。
1883年 アレージャのサン・フェリス教会計画。
ビセンス邸(88年まで)。
学校時代の師ビジャールの後を継ぎサダラダ・ファミリア教会の建築家となる(11月3日)。
コミージャスにエル・カプリチョ邸(85年まで)。
1884年 グエル別邸のパビリオンの門扉と馬小屋の設計。
ボカベジャ家のための祭壇をデザイン。
1886年 グエルのための最初の大きな仕事であるグエル館(90年まで)。
アルフォンソ]U世国王公式訪問のための市庁舎一部改装計画(実現したのはドメニク案)。
1887年 アストルガの司教館(93年まで)。
カディス海運博のトランスアトランティカ社のパビリオンを設計。
1888年 バルセローナ万博のためのパビリオン(前項のパビリオンを改装)。
サンタ・テレサ学校(90年まで)。
1889年 大日本帝国憲法発布。
1891年 コミージャス侯とアンダルシアヘ旅をする。
サグラダ・ファミリア教会のアプス部周壁(93年まで)。
同御降誕のファサード(92年まで)。
レオンのカサ・デ・ロス・ボティーネス(92年まで)。
1892年 モロッコ・タンジールのカトリック布教館計画(実現しない、93年まで)。
1893年 友人グラウ司教亡くなる。葬儀に棺台を設計。
1894年 日清戦争(1895年まで)。
1895年 ガラーフにグエルのための小建築を建設(1901年まで)。 
1898年 カサ・カルベ(1904年まで)。
コロニア・グエルの教会(地下聖堂のみ完成、1914年まで)。
1900年 ベジュスグアルド邸(1902年まで)。
理想都市計画グエル公園の建設(1914年まで)。
カサ・カルベに市の建築年度賞が与えられる。
1901年 ミラージェス邸の門(1902年まで)。
1902年 バー・トリーノの内装に参加。
聖山モンセラットに第一秘跡のモニュメント設計。
1904年 カサ・バトリョの改装(1906年まで)。
劇場サラ・メルセの内装。
マジョルカのカテドラル修復(14年まで)。
友人の画家、グラネー邸計画(実現しない)。
日露戦争(1905年まで)
1906年 カサ・ミラの建設(1910年まで)。
ガウデイの父亡くなる(10月29日)。
1908年 アメリカに高層ホテル計画(実現しない、11年まで)。
1909年 サグラダ・ファミリア教会付属学校。
1910年 パリで生前唯一となったガウデイ展が開かれる。
グエルに伯爵位が授与され、ガウデイは紋章をデザインする。
1914年 助手として1877年から働いていたベレンゲール死亡(2月4日)。
第一次世界大戦勃発。経済恐慌に仕事を無くし、サグラダ・ファミリア教会の仕事に専念する。
1918年 グエル伯死去(7月8日)。
1923年 関東大震災。
1926年 6月7日市電にはねられて死亡。