日本全国リレーde富士


丹後富士〜建部山〜
 京都府舞鶴市にある建部山は、別名丹後富士と呼ばれ親しまれています。標高316m。また、頂上には明治時代に造られた陸軍の砲台施設が今も残っています。
雲海に浮かぶ建部山
雲海に浮かぶ建部山 五老岳より

安寿姫塚
 建部山の西麓に安寿姫塚がある。森鴎外の「山椒太夫」で有名な安寿と厨子王丸の悲しい物語の舞台となっている。姉の安寿は、太夫の家を逃れ、京へ上ろうとする途中、中山から下東へでる坂で、疲労と空腹に堪え切れず、非業の最期を遂げたという。今もこの坂を飢坂(かつえざか)といい、土地の人々によって手厚く葬られ、その塚がひっそりと残ってる。春、この建部山にはコブシの花が咲き乱れる。

九景が浦
 当時、大野辺、西町辺りより眺望する湾内の景色は誠に秀麗で、別称「四所の浦」「九景が浦」とも呼ばれ田辺(舞鶴)の景勝地であった。
 江戸末期の田辺藩の家老で雅人でもあった野田笛浦が選んだ九景の一つに、「小芙蓉斉雪」として建部山の雪景色が選ばれている。
 ちなみに、野田笛浦(希一)は、寛政11年(1799)6月21日大内に生まれ、江戸に出て朱子学を学び大成された学者である。嘉永三年(1850)52才の時、田辺城主牧野節成侯の墾望により、 江戸より、帰国し藩の家老職につき61歳でなくなる。
 笛浦が江戸より帰国されるについて、田舎入りを惜しんだ人々は、江戸に留まるようすすめたといわれ、 「丹後田辺に過ぎたるものは、時の太鼓と野田希一」と唄われたほど。  

INDEX