事例報告
「市民による合名会社赤レンガ館設立」

司会)
 ありがとうございました。次に、宮崎県日南市の合名会社油津赤レンガ館共同代表社員の渡邊眞一郎氏に、「市民による合名会社赤レンガ館設立」と題し発表を行っていただきます。
渡邊氏は、1948年宮崎県日南市生まれ。慶應義塾大学卒業後、日本債券信用銀行を経て、京屋酒造有限会社に入社。1993年同社代表取締役社長に就任。また日本青年会議所九州地区協議会会長などを歴任されました。現在焼酎日南協同組合理事長、株式会社宮崎交通・社外監査役、日南教育委員、日南ユネスコ協会会長など、地域のリーダーとして、まちづくりに活躍されておられます。

渡邊眞一郎氏)
 過分のご紹介をいただきました。日南からきました渡邊でございます。今日は、他の講師の方と違いまして、私は煉瓦に関しましては全くの素人でございまして、たまたままちづくりというか、地域のことに関わっている中で、赤煉瓦の倉庫が競売に賦されるという事態に直面して、皆さんの力で、赤煉瓦の倉庫を買い取らせていただいたということでございます。たまたま赤煉瓦と関わった中で、内藤さんや馬場さんたちにご訪問いただいたりして、今赤煉瓦の勉強をしている最中でございます。今日も舞鶴にまいりましたのは、もちろんこういう形で皆様にご報告させていただくのも大きな目的ではございましたけれども、煉瓦がどういうものか、ホフマン窯というのも見てみたいなということで、今日おじゃました次第でございます。まず、我々が取得しました赤煉瓦の倉庫がどういうものかというのは、お手元の資料にも一応入っておりますけれど、数枚スライドを用意していただきましたので、こちらのスクリーンの方でご覧いただければと思います。この建物が赤煉瓦倉庫が建っております敷地にあります母屋でございまして、一番古い部分が江戸の末期に建てられたんじゃないかと言われておりす。この木造の建物も含めまして、赤煉瓦が建っております敷地は220坪でございますが、これを31名で買い取ったということでございます。これは屋根が非常に傷んでいまして、
 今京都や奈良で社寺仏閣の修理をする時に、一時架けますシートを全面的に屋根に架けまして、仮の保存をしている所でございます。これが、我々が取得いたしました赤煉瓦の倉庫でございます。よく見ていただきますと、まあ奥の方と申しますか向かって右の方が屋根半分無くなっておりますが、実はこれは第二次世界大戦中に、いわゆる兵舎と間違えられては困るということで、屋根半分を敢えて落としたというもので、上はフラットな屋根がかかっていたみたいなんですけれど、これはまずいということでこういう風な瓦葺きの屋根に葺き替えたということでございます。表向きは全部一体のかなり大きな倉庫に見えますけれど、実は、半分近くはもう既に崩されておりまして、壁だけ残っているという状況でございます。
これは、堀川という運河がすぐそばを流れておりますけれど、そっちの西側から建物を撮った写真でございます。これは正面の方から見た建物でございまして、右の半分の屋根が欠落しているのがお解りいただけるかと思います。これが非常にみすぼらしく見えますが、現在は有志の色んなご協力をいだきまして、アーチ部分の入り口の部分もフレームをやり直しまして、ガラスを入れて、随分外見的には整えることができました。これは、反対側から、母屋の方から見た赤煉瓦倉庫でございます。非常にこんもりと木が茂っておりまして、廃屋みたいな形になっていたんですが、我々が取得した後全員で、庭の木を伐採したり中身を片づけたりして、こちら側から赤煉瓦が見られるような状態になったというところでございます。
 これは赤煉瓦の内部でございまして、お手元にあります写真の方がよく内部の部分について判るかと思いますが、先程見ていただきましたように右半分の屋根が無いわけでございます。これは、ちょうど真ん中にあります通路で、この通路を挟んで左右に同じような部屋があるというような構造になっております。上が丸いアーチ式のトンネルの通路になっております。以上が大体私どもが取得しました煉瓦の倉庫の概要であります。
 我々の組織は、この煉瓦の倉庫を取得するためにできた組織ではもちろんございませんで、我々のスタートはと申しますと、昨日のNHKのテレビで40分位の番組がございましたが、舞鶴の皆さんが良くご覧になる番組かどうかは存じませんが、 NHKの教育テレビで9時から40分、油津の漁師から見た町のかたちの番組がございました。その中で若干そのビデオを撮るときは町の人間と海の人間との融合する場が、綱引というかたちで我々綱引きやっているわけですけれども、そういうプロデューサーのポイントがあったんですけれども、昨日、番組を見せていただいたときには、そういうものが無くて、たいした番組じゃないなと見てたわけでございますけれど、そういうまちづくりを約18年位前にスタートをしました。そのスタートから色んな経緯がございましたけれど、まちづくり委員会というものが4年前にできました。まちづくり委員会に50社位、本当は商店街を中心に商店街をもう一度復活させようという意気込みで作った組織だったんですけれど、どうも商業をやっておられる方には、余りインパクトが無かったらしくて、集まっていただいた方はお寺の坊さんとか、鉄工屋さんとか、郵便局長さんとか全くの異業種の方々が50社程集まっていただきまして、油津という港町の活性化に向けて勉強しようかということが、4年位前からスタートいたしました。その中で、テーマとしてまちづくりの核となる建物を場所をということで、この赤煉瓦の倉庫に目をつけたわけでございます。この斜め前にもう一軒赤煉瓦の3階建ての倉庫が残っておりました。その赤煉瓦の隣には3階建ての木造の建築物も残っております。すべて大正時代に造られた建物でございますけれど、やはりこういう小さな町でこれだけの煉瓦の建物が残っているという事は、それなりに経済的にもかなり豊かな時代があった証拠じゃないかということで、これをもう一度皆さんに思い起こしていただこうということで、ここを核とするまちづくりを進めていったわけでございます。ところが、やはり金のないグループでございますし、人様の物件でございますから、あまり我々がこの建物をどう利用するかということを、表向きなかなか言えない所で、出来たらこの物件を手に入れられないかということで、持ち主の方に色々話をし始めてしばらくしましたら、突然競売という話が出てきてしまいました。我々もビックリしたんですけれど、急いで行政の方にご相談をして、どうにか成らないかという話しもずっとしてきたわけですけれど、やはり行政の方も財政的に厳しいという部分もありました。なかなか思うように動いてくれないという部分もありました。いよいよまもなく本当に競売に入札する者が出てきそうだぞと、いうことになりました。銀行等に相談をしなが、我々で取得していこうということになりました。当初は、金のある者が可能な範囲で持ち寄ろうかという話もあったわけでございますけれど、やはり広く皆さんに愛される建物として残したいという部分もありましたものですから、できるだけみんなが参加しやすいような形でやろうということで、皆さんにお計りいたしました。いろんなお知恵を拝借しました。3ヶ月も無かったぐらいの時間でございましたので、その中でどうにかしなければいけないというところで、協同組合では時間がかかりすぎてとても間に合わない、株式会社じゃようするに資本金がまず最初に1千万円いるわけでございますが、その1千万を皆持ち寄るということがなかなか難しいということで、合名会社というのを作ることにいたしました。合名会社というのは、非常に古い組織体でございまして、司法書士にいろいろ相談しましたところ、合名会社なんて自分が司法書士に成ってまだ立ち上げたことが無いと、そんなの今頃そんな組織作るのかと言われたんでございますけれど、何しろ、出資金がいらないですね合名会社というのは。非常に協同組合法に似たような合名会社法というのがありまして、出資金がなくて法人が作れるという、誠に不思議な組織でございます。で、それを立ち上げようということにいたしました。しかし、合名会社というのは、企業をおやりになっている管理職の方はよく御存知だと思うんですけれど、無限責任社員でございまして、その会社が何か問題があれば、そこに出資している社員ともうしますか、出資者は無限の責任を負うという形に成るわけでございます。
 自分の資産からなにから全部、ようするにその組織の例えば負債があれば負債に充当しなければいけない責任が生じてくるわけです。ですから、非常に危なっかしい組織であるわけであります。この組織が1億、2億の借金をして事業に失敗すれば、31人全部連帯してその1億に対して、資産からなにから全部押さえられてしまう、担保されてしまうという組織でございます。これじゃやばいなということで、それに色々手を加えまして、定款でこの赤煉瓦の建物を取得すること、それから保存すると申しますか、それだけに限定をいたしました。それと、社員と申しますか、代表社員制度というのを採用いたしました。4人、代表社員を登記したわけでございますけれど、この4人とも判をつかないと、いわゆる行為が実行出来ないという組織体に仕上げた訳でございます。4人登録しておりますんで、随意の第三者に対しても、充分対抗出来るということでございます。私もその代表者の一人になっている訳でございますけれど、私がお小遣いが無くなったからちょっとそこから差し引いてやろうかといって、印鑑をついてもそういう行為が認められないという組織体に、定款上縛りをいれました。それで、銀行から一括してその取得する資金を借り入れた訳でございます。取得資金的には、2千万ちょっとの物件でございますけれど、220坪の土地に、木造の建物、煉瓦の倉庫がついて、まぁ2千万円で坪当たり10万円を切る物件でございますけれど、我々全然お金が無いものですから、とにかく5年間だけはその物件を持つことにしようと。それと行政等に掛け合いながら、行政または民間の方でいい利用をしていただける方が出現するまで、5年は我々で持とうということで、2千5百万円程借り入れをいたしました。31名集まったわけでございますけれど、7年間均等払いしていこうということでございます。だから、元利金合わせますと、一人で百万程度の資金を負担するという形に成るわけでございます。そういうことで、3ヶ月程度で立ち上げることが出来ました。宮崎県の信用保証協会が債権者でございましたので、話はし易かったのと、債権者が銀行関係であったので、後は以外とすんなりといったわけでございますけれど、ただ賃借人のアメリカ人の若い画家が一人そこを賃借いたしておりまして、この賃借権の問題が発生するとややこしいなということだったんですけれど、前の家主さんからお話をしていただきまして、快く退去していただいたという形になっております。そういうことで、我々の物件に成ったわけでございますけれど、今我々がやらなければ成らないことは、我々は取得する事が目的じゃ無くて、これを活用して地域の活性化を図りたいというのがそもそもの目的でございまして、今我々はこれをどう利用していくか、誰に利用してもらおうかということで、行政を含めて色々な地域づくりの青写真を書いてほしいということで、我々も手伝いますし、行政も是非そういう形でもって真剣に取り組んでいただきたいということをお願いをしているところでございます。今日ここにまいりまして、舞鶴市の赤煉瓦等々そういう資産に対する取り組みを見せていただきました。非常に羨ましく思います。なかなかそういう7億かけた、10億かけて改装した、そういうお話を聞きました。我々は決してそんなにいらないんだけれど、その10分の1位でも行政が出してくれるとありがたい、というような思いがしております。是非、舞鶴や明日の大阪での総会で、皆様からお知恵を拝借して、まちづくりの中心の建物として、是非復活させたいと思っております。
 どうもありがとうございました。

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