パネルディスカション

司会)
 それではただ今から、記念シンポジウム パネルディスカションをはじめさせていただきます。
 先生方ご登壇願います。
 それではディスカションいただきます先生方を紹介させていただきます。アドバイザーを努めていただきますのは、法政大学名誉教授で地域政策プランナーとしてご活躍されております田村明氏でございます。田村氏は1926年東京生まれ、東京大学工学部建築学科、同法学部を卒業後、運輸省、日本生命、環境開発センターを経て、横浜市企画調整部長に就任し横浜市のまちづくりを推進されました。また、1981年から97年まで法政大学法学部教授を努められました。著書として「都市横浜をつくる」など多数があります。現在は地域政策プランナーとして地域のまちづくりに取り組んでおられます。
 続きましてコーディネーターを努めていただきますのは、金沢学院大学助教授の水野信太郎氏です。
 また、パネラーとしてご参加いただきますのは、日本ナショナルトラスト関西BOX事務局長の岡田実成氏、合名会社油津赤レンガ館共同代表社員の渡邊眞一郎氏、赤煉瓦ネットワーク事務局長の立花恒平氏です。
 それではここからの進行はコーディネーターの水野先生にお願いしたいと思います。

水野信太郎氏)
 今4人の方々に色んな話題の事例報告をいただきました。今夜の集いの目的は馬場事務局長が一番最初にご挨拶を申し上げました通り、舞鶴が煉瓦でまちづくりをしてるわけですけれども、はじめた時は弾みがあるものですから、あれもやりたい、これもやりたいということで進めて来れましたし、地元の方がご覧になっていても、新しいことを若い連中がしでかしたなということで関心をもっていただけたということがあったんです。けれども、会として7年、博物館は5年を迎えようとしております。そうしますと少し何か当初の加速度が落ちてきているというようなことなんですね。新しい情報を、新しい血を入れて、もう一度勢いを取り戻そうということなのです。そういう意味では一番役にたつ話題は、他所様がどんなことをしておられるかを聞き出すのが一番いいわけなんです。その話題を皆さんに壇の上の方々からお聞きしてもよろしいんです。けれども、この機会にお集まりいただい方々で、どなた向けということでもいいですのでこんなようなことを折角の機会だから聞いておきたいとおっしゃる方はおられないでしょうか。どうぞ遠慮なさらずに、お話下されば係りのものがマイクをお持ちすると思います。いかがでしょうか。
 こちらで、ひとこと言ってからにしましょうか。
 それでその話で思いついたとか、このことはどうだということがございましたら、その場で遠慮なくおっしゃっていただきたいと思います。今日の大きな話題というのは岡田所長が15分ではなく、30分ぐらいしゃべっていただいてもよかったんです。その追加というようなことで、先ほど生かせてるかどうかは別として、舞鶴のこの辺が資産としては結構なものですよという誉めちぎりの話がありました。今後どんな風に、どこを突ついていくともっと元気のあるまちになりそうだとお考えですか。

岡田実成氏)
 最初から結構難しい話題を提供していただいたんですけれども、舞鶴の調査をやりましてほんとに市の方も、山の上から草の根を分けて煉瓦を探したりして実に沢山あるわけですね。ただ、事例は色んなものが報告されたり結構今は豊富にあるんですよね。で、活性化とかやり方は、要はつくり方、どうやってつくっていくのかという市民参加のシステムを含めてですけれども、それが一番これから重要じゃないかなという気はします。今話してましたように熊取という大阪のところでやってるんですけれども、全編ワークショップで市民参加と専門家が一緒になったワークショップを3、4回やっています。結局つくるとき、つくり方自体といいますか、いろんなアイデアとかを結集してどうつくっていくか、頭を悩ましながらやっていますが、それはたとえ美術館であれ何であれ出来上がったものよりか、出来上がるプロセスが一番重要ではないかと思います。それと舞鶴の赤煉瓦の調査でもう一言だけいいますと、114件ほどあるといいましたけれど、実はオープンに見られるところは意外と少ないんですよね。その半分以下、鉄道なんかは見ることはできるんですが、大量のものが日立、それから自衛隊にあります。また、意外と山の上とかにありますから舞鶴市の方もよっぽど興味がある人でないと、日常的には北吸のこのあたりだけしか、見られていないじゃないかという気がします。ですから、まず見る機会をもっとつくって、工場の人に協力してもらいながらですね、ネットワークをつくるのが、重要ではないかと思いました。その2点ぐらいです。

水野信太郎氏)
 はい、ありがとうございました。
 なるほどね、見に行く機会をそういうグループを呼びかけてやったらどうか。それはおっしゃる通りですね。ご覧になっている方はご覧になっているでしょうけれども、そうでない方はなかなか行けないところにもございますので。
 立花さん、こちらへ来られて何年でしょうか。最初に来たのは、平成の2年?、3年?、それから比べると随分このまちはきれいになりましたよね。

立花恒平氏)
 赤煉瓦シンポジウムが89年ですか、90年ですか。10年ぐらいですね。最初来た時は、まだ三条通のアーケードもありませんし、まち自体も、街路樹も、すごい切り方がされていて、あまりまちとして統一されたというか、個性をうまく生かしているという感じがあまりなくて、少し元気のないまちかなという感じがちょっとしたんですけれどもね。今は何かもう活力に溢れているという感じが外面にも出てきているし、それから赤煉瓦ということで、色んなもの、例えば自衛隊の壁であるとか交通標識のたぐい、色んなものに煉瓦をあしらったり、非常にまちの個性をうまく見つけてそれを生かそうとしている意欲が伝わってきますし、それを普通なら嫌がる国がですね、市役所の近くの地下歩道も煉瓦ですよね。煉瓦を基調としたデザインを用いるとか、普通ならあまり協力してもらえない国の機関であるとか、自衛隊であるとか、そういうところが随分協力をしてると。私写真を撮っていつもならスライドでお見せするんですけれど、何しろすごいのはあの自衛隊の煉瓦倉庫の塀のところにですね。僕らが最初来た時には、有刺鉄線がグルグルグルグル上の方にあったんですね。その有刺鉄線のところに、何とライトアップの照明器具がついておるんですよ。寄ったらアカン、さわったらアカン、見たらアカン、有刺鉄線がまわっている所にライトがついて見てください、見てください、見てくださいという意識の変化がこの10年間の変化だというふうに思います。

水野信太郎氏)
 はい、ありがとうございます。
 渡邊さんには、具体的なことをお聞きしたいのです。舞鶴の話ではなくて地元でなさったこと。先ほど220坪の敷地に2500万円お借りになった。メンバーとして返済のための責任を負うとおっしゃった方々が31名。先ほど時間がなくてですね、郵便局の方だとか異業種の方だとおっしゃったんですけれども、具体的にはどういう方々でしたか。31名でいうと、皆さんは実業家?

渡邊眞一郎氏)
 いや、決してそういうことではないんで、もちろんサラリーマンの方もいらっしゃいますし、地元で長く生活をされている方が多いわけですけれども。決して我々はこういう資格がなければいけないという呼びかけをした訳ではないんですけれども、もちろん大っぴらには呼びかけはしませんでした。核になるメンバーが何人かいまして、その知り合いを片っ端から3ヶ月間で声をかけて集めたというところでございます。あの、もともと舞鶴はどういうまちの中でまちづくりをやっていらっしゃるかわかりませんけれども、日南の場合は結構10人とか20人単位のまちづくりのグループと申しますか、自分達で何か面白いことをやっていこうというグループが結構ございます。私でも四つ五つのグループに入っておりますし、そういうグループの中で、こいつなら100万負担して、例えぽしゃったりしても、そうブツブツ文句も言わないだろうというメンバーにあたったというところです。
 毎月返済しているのは元利金合わせて、1万5千円ぐらいじゃないでしょうか、。

水野信太郎氏)
 先ほどのお話では、ずっと持ちつづけようということではなくって、今とにかく売られちゃう、競売に出されるということで、何されるかわからないからあの状態で持っておこうと。最終的な希望としては僕達が立て替えたけども、市にまとめて買い取ってもらいたいんだよ。という、そのための緊急避難なんですね。

渡邊眞一郎氏)
 おっしゃるとおり、やむにやまれずという部分で。我々は建物を取得したいという気持ちは全然なかったんですよね。建物を残しておきたいというのはありました。建物を残すにあたっては、例えば、出来たら外からお客さんが来てくれる。そこで何か商業施設として利用していただけるような形での残し方をできないだろうかなということで、我々は利用するサイドで、ずっと何年間か建物について議論してきたわけです。通産省からも2年間にわたって900万から1千万ぐらい補助金をいただきまして、それで色んな報告書をつくったりしてたんですけれども。それを各方面に行政も含めて提言としてお配りしたりして、こういう仕方もあるんじゃないか、こういう仕方がいいんじゃないか。ずっと何年間か言ってきたわけです。しかし、動かないんで、我々が、じゃひとつ実験的に建物を買い取って何かをやらなきゃいけないのかなと言いはじめた時だったんですよ。競売という話が入ってきちゃって。バタバタバタと、これは大変だということで買った。すぐそばで堀川という運河が流れてまして、こちらからみると対岸にフィッシャーマンズワーフの計画が行政主導で立ち上がろうとしているわけです。そことの一体性も持たせたいというのもございまして、行政とそこを含んでフィッシャーマンズワーフの施設の一部として、いろんな使い方ができないのかという話をずっと今もしているところです。

水野信太郎氏)
 はい、ありがとうございました。
 いよいよ田村先生にまとめというようなお話、あるいは舞鶴でこういう手があるぞ、ここのところはお前らボサッとしていて忘れとるじゃないか。というようなお話を伺いたいと思うんですが。その前にですね、黒田館長、いいですかね。今日は実は赤れんが博物館の館長が来ているんですが、この赤れんが博物館は、ごく普通に言えば地味な博物館で、テーマパークなどに比べれば当然お客さんの数は少ないのです。このまちの人口9万5千ぐらいですかね、しかも、日本海側で東海道、京都からは遠く離れている土地なのに、実は入館者数が捨てたものじゃない。そんな話をしていただけますかね。結構それはそれでやっていける。こういう規模でこういうまじめ博物館の割には、かなり入場料というのがあてにできる。ちょっと報告、披露していただけますか。

黒田悠三氏)
 赤れんが博物館館長の黒田でございます。水野先生から突如発言を求められたわけですけれども、実はこれで5年になるわけですけれども、入館者数平均7万人でございます。まもなく35万人を突破しようとしている。それでこの建物を維持管理するには、人件費も含めまして大変なランニングコストがかかる訳です。人件費も含めましてざっと年間5千万ほどかかっております。その内に入館料収入ですけれども、これが年間1千万から1千2百万ということでございますので、確か25%ほど回収率があるということでございまして、これが県立の美術館でありますとか、大きな博物館ですとか、学芸員が二桁以上いるというような博物館の収入の回収率からいきますと5倍から6倍くらいの回収率があると考えております。観光施設としてのウェイトが大きいということではありますけれども、結構捨てたものじゃないと考えております。

水野信太郎氏)
 博物館に寄ってくださる来館者というのは、他の市内の施設との組合せの方が多いのでしょうか、あるいは赤れんが博物館だけにいらっしゃる方はどれくらいなんでしょうか。

黒田悠三氏)
 五老スカイタワーと引揚記念館とこの三つが非常に多いんじゃないかと考えております。最近ではPRの方も進んできましたので、観光バスで訪れる客が沢山あるということで、引揚記念館とのセットは非常に多いということです。最近では、「とれとれセンター」といった海産物を売る土産物センターもできましたので、そちらと合わせて利用される方々が非常に多いとみております。

水野信太郎氏)
 ありがとうございます。
 会場の方で舞鶴市はこんなところが手落ちがある。この機会に言っておこうという方がいらっしゃいましたら、お聞きしたいと思いますけれども、よろいしいですか。
 今までのところで、田村先生、舞鶴の方でこんな手もあるよ、他所のまちではこんなような工夫をして面白いまちづくりをやっているところがあるよ、というようなご紹介を、あるいはご指摘をいただければと思うんですけれども。

田村明氏)
 まちづくりは市民がつくるものでね。本当はパネラーの方々ではなくって、さっき市民に訴えかけたときに全然反応ないってこと自体がやっぱり一番問題だなと、手があるよというよりも皆さんが何を考えているのか、まちということにどういう感じを持っているのか、誇りを持っているのか、問題を感じているのか。ここの方はかなり関心をもっておられる方だと思いますよ。そういう声が生に出てこないこと自体が、一番の問題じゃないですかね。今後考える場合に、まちって決して役人がつくるわけでも、市長だけがつくるわけでも。市長さんも重要です。議員も重要です。だけどやっぱり市民がどう考えているか。そういうことが表現されないとだめのね。表現されたことが行動されてこないとだめなのね。まず、どういうものか。言ってみるとおかしなことを言ったなんて言われるんじゃないか、皆引込み思案になるとお互いに言わない。アホみたいなことでも言ってみると、そのうちいろいろ言ってそんなものもあるのかということになってくる。人がいくらいいといってもいいことは沢山ありますよ。沢山ありますけど、いいっていうことだけを聞いてもしょうがない。知恵ばっかり膨れてもしょうがない。まちづくりって実践なんですね。僕は、時々、方々に行って宣伝してるんですよ。舞鶴、赤煉瓦ということからやりだして、非常にいいと。市役所の隣にこんなものがある、素晴らしいことである。赤れんがの博物館がある、世界中の物を集めちゃった、ということですごいことである。まあ、宣伝はさせてもらっているんですけれども、皆さん方がそれをどういう風に思っているか。それだけじゃ、ただ建物があるということなんですよ。私はまちづくりが専門だけれど、これからのまち使いが問題なんだよね。まちをどう使っていくか。使っていくって役人が使ったってしょうがないんですよ。市長が使ったってしょうがないんですよ。市民の皆さん方がどう思ってどう使うかっていうこと、それが、折角のこういう会で率直にでてきてね。まあ、皆さん方いろいろとお考えになっているんだと思いますが、そういことをどうやって出すか。だから今日なんかも、馬場さんも考えてこの辺でもうひとつというのは、大いにそういうものを出し合ってみて、みんなの気持ちをひとつにすることで、いくら話のいいご託宣をいただいたって、まあ、そらどっかの話だろう、ということだけになってしまうんです。そういうことを是非この機会にやったほうがいいんじゃないかな。私なんか言い出しますと、きりなく延々と喋りますから、あんまり私に喋らさないほうがいいんですけれども、まず、そういうことから言っておきたいですね。

水野信太郎氏)
 はい、ありがとうございます。
 今舞鶴の中で困っている、煉瓦のことに関してたとえば壊されそうだとか、そういうようなことはないんですか。

馬場英男氏)
 壊されそうというものはないんですけれども、壊れそうというのはありますので、先ほどあいさつの中で申しましたように、ホフマン窯が随分痛んでおりますので心配しています。そのために、ああいう創業当時の50分の1の模型を作って一度見ていただきたいというようなことです。それからまた、それを知っていただくことによって、それをどう保存し、また、活用していくか。そういうものを考えていただければという提案をさせていただいております。他に先ほどのご質問の壊されそうと、人為的にされそうというのは今のところないですね。すべて使われているということです。ちょっといいですか。ご質問させてもらってもいいですか。岡田さんにお願いしたいんですけれども、先ほど114の煉瓦造が市内各地にあると。その活用方法ですね、フィールドミュージアム構想というすばらしい考えだと思うんですけれども、具体的に、ただ単に残して登録していくというだけではなしに、もう少し突っ込んだご意見があればありがたいんですけれども。

岡田実成氏)
 田村先生がおっしゃったことに反すると思うんですけれども。私が最初に言ったのは、要はいろんな事例も沢山あるから、市民がどう創っていくか。創り方が一番大事や、一番最初に申し上げたんですけれども、要は棚からぼたもちみたいに、こんなんしたら一番いいよ。実際ありますけれどそんなん言ってみてもほんと仕方がないと思っていますし、ただ、特徴的なことで申しますと、先ほども言われたように、今使われているものが非常に多いんですよね。実際に壊されそうなものはないとおっしゃっていたけれども、実は裏返せばいつ壊されてもおかしくない可能性を秘めているわけですわ。だからこそ、みんなで見る目というか、育てる目というか、そういう機会を沢山つくって、何も煉瓦とか工場でも倉庫でも使われなくなって、だから再生して活性化してそれをどう活用するかということに焦点が向いてますけれど、実は一番大切なのは今実際に使われているならば使われているそのものを見たり見せたりとかですね、そんなことでも一杯出来るわけですよね。それが重要だと思うんですよ。何か使わなあかんということはないわけですから、例えばそのまま、要するに古い形で保存していってもよろしいですし、かえって意識的に使わなあかんというような考えは、逆に持たないほうがいいんじゃないかなという気がしますね。何か活用しなきゃいけない、活用しなきゃいけないという感覚。それはどちらかと言えば、こういう市民の皆さんがですね、こういうことに使いたいし、実際にゲリラ的にも使っていって、そういうふうに熟すように使い方が落ちてくるというのがあって、何か無理して使い方を一生懸命見つけようということ自体がね、無理があるんじゃないかと。単純にいけば今使う可能性といえば保存と活用を一体にして残さなあかん形のところというのは、先ほどのホフマン窯のあのあたり、それから浄水場のところ、市として取り組みやすいというか取り組めるとろこだと思うんですけれど。それなんかにしても実際に、こんなふうにして使おやないかという声がですね、もっと出てきて、こぼれ落ちるように使わないとですね。たとえば美術館にするという形では、だめじゃないかなという気がしますね。市民のそういう形の要求がなければ使わなくてもよいのではという感じがしますし、馬場さんのあせる気持ちはわかるんですけれど、何かそういうことではないかという気がしますけれど。答えになりませんけれど。

小林氏)
 座ったまま失礼いたしますけれど、小林と申します。岡田さんの言われたように旧海軍の浄水場が市民プールの下に2基あるわけです。今は使われていませんし、そのまましておけばあれは廃墟になってしまうんじゃないかと思います。しかも、あそこにあれだけ立派な浄水場の煉瓦造があるということが、市民全般にはあまり知られていないと思うんです。というのは、あそこは木で覆われて有刺鉄線を張って柵がしてあると思います。屋根は合掌が落ちかけております。合掌が落ちても煉瓦は腐りもせんし、そのまま残っておるだろう。というような安易な考えではなしにですね、やはり活用を考えるということが今必要だと思います。大体地表面から下へ5mほどあるんではないかと思いますが、その深さから考えてですね、あそこの活用の一つの方法として、水族館などができないものかと常々考えております。

矢谷明也氏)
 京都府の矢谷でございます。横浜の赤煉瓦の構想が10年、やっとで昨年構造補強が終わったということで、たまたま見せていただく機会がございました。横浜市の偉いところというのは、工事中に確かゴールデンウィークでしたか、一般市民の方を工事現場の中に入れて、今こういうことをやってますよということを見せる。でもどう使うかはまだ全く決まっていない。立花さんが、当初10年ほど前に横浜の新港埠頭の煉瓦の建物があるということで、活用方法を模索しているということをお話だったと思うんですが。ただ今、皆さん方がおっしゃったとおり放置する保存というのがあってもいいんじゃないかと思うんですよね。ですから、すぐに財産というのは何かに活用しなければならない。お金を生むようなことをしなければならない。あるいは舞鶴が横浜のそういった事例を見たりですね、神戸の煉瓦の活用方法を見たりして、何かそういう風にすぐに活用しなければならないと思うのは間違いだと思うんですよ。ですから、活用方法というのは次の世代に委ねてもいいんじゃないか。我々の世代では、あくまでも現況を保存することに徹してもいいんじゃないかという一つの方法があると思うんです。ただ、先ほど来、皆さんがおっしゃっておりますとおりに、舞鶴市の一番まずいところは、岡田先生がおっしゃったとおり、それぞれの煉瓦の施設はあるんですけれど、そこへ行くすべといいますか、そこへ行く道路の整備とか、行っても草を刈らないと周りが回れないとか、そういった整備が非常に抜けているんじゃないかなという気がします。そう行った点では、参考になるか私には直接わからないんですけれど、新港埠頭の今何も使っていない、こういう言い方大変失礼かもしれませんが、横浜市民はあの煉瓦造を今どういう風に考えているのか参考程度に教えていただければと思います。

立花恒平氏)
 新港の赤煉瓦倉庫の初代の担当者としては、夢がございましてですね。担当していた時には、全長150m、幅が22m、高さ18m、3階建、1・2階は天井高が3mに満たないくらいの器でございまして、その3階に上がりますと天井が張ってございませんから、高さが12mぐらいあるという、屋根の一番上までですね。それが全面煉瓦でこのような壁が建っているわけですね。正直、私も別に煉瓦の建造物を研究したわけではなかったですから、それからもうやたらにいろんな所にまいりまして、調べたんですけれども。僕らの案としては、2棟あるんですね、半分の長さの75mのものと、150mのものが2棟あって、全体の延べ床面積は1万5千uですから、大変大きな建物でございます。それをどうしたらいいんだろうということで、横浜市はそこを何とか残したいということで、周りを港湾緑地という公園みたいなものにしまして、その真中に倉庫が2棟あるわけですからそれをどう使うかということで、僕らが最初考えたのは商業と文化の施設をあそこにつくろうではではないか。私が個人的な思いにも似た形で考えたのは、横浜というのは外国から文化を取り入れて色んな産品を作り出している。つまり外国から入ってきた製品はあるんだけれど、日本人の手で色々作ったという物があるわけですよね。例えば、石鹸ですとか、色んな物があるわけですが。ものの初め、横浜で外国から来たものを初めて生産をしたり、作ったり、ビールですとか、場合によっては義足とかあるんですけれども。それを横浜のものの初めというふうに呼んでおります。その横浜のものの初めにゆかりのある物を、実際に食べられるものは食べ、実践できるものはでき。しかも、商業者の人達はですね、関東圏では多いんですけれども、大きな商業施設ができると、築地何とかとか、銀座何とかとか、という名前の商業者がでてきてですね、それで商売をなさると。そんなんでいいのかと。横浜で赤煉瓦倉庫で生き抜く企業が、自分ところの名前に東京の名前を付けてくるというのでいいのか。地元が活性化する、自分達の名前を変えてまでも横浜の赤煉瓦倉庫で生き抜くぞという人達を入れるというものを考えたらどうかと。それ自体が例えばレストランを経営してアイスクリ−ムもそうですけれど、もののはじめですけれども、そういうものを売ってる店があって、その店の廊下をずっと歩いているだけで横浜のものの初めがわかる。ものの初めミュージアム構想というのをちょっとつくりまして、それで提案したんですが。私が願っていたのは、そういう商業施設群とですね、それから横浜の市民が直に使える、例えばこういう市政記念館みたいな、こういうスペースがあって、そこを自由に使える。演劇であれ音楽であれ何であれ色んな催しに使えるというスペースとその両方があそこになくてはならないんだろうと。ただの観光施設で観光客しか来ない、文化的なことでそういう人達だけしか来ないという場ではなくて、横浜の港として人といろんな情報が交流できるという所にしたいと思っておりました。個人的にはその煉瓦に囲まれた空間で是非ビールを飲みたいと、飲食をしたいというのがやっぱりありました。まあ、ひとつ、先ほどから市民が考えるべきだというふうおっしゃってて、私達も横浜市民としてその問題を考えてきたわけですが、私達が考えてる中では、そんな案がでてきて、それをたたき台に何回も検討が繰り返されているという状況でございます。市として、まだ、どういうものにするという形は決まっておりません。

田村明氏)
 ちょっといいですか。あまり、横浜の話ばっかりではどうかと思うんだけど。今はだから、市の見解じゃなくて、ご質問の方は市の見解が決まっていないじゃなくて、市民の見解でいいんですよ。市民の見解のひとつですね。今10年と、実際には27、28年前なんです、あれは。私が横浜市に入ったのは30年前なんですけれど、実際にはその頃からなんです。その時は他のことが忙しくて、28、9年前から私はあそこに関わっている。本当に僕はどうしようかと思ったんですね。これは保税倉庫だから、一般の市民は入れないところなんです。よく知っている人でないとあそこへ行かない。だから、一般の市民的関心じゃないんですね。変なやつがいたら入口のところでチェックされちゃう場所でしたから。でも、私は近くにいたから知ってまして、すごい所があるなと。私は市に入っていませんでした。そのうち市に入っちゃった。でも高速道路を地下化するとか、宅地開発をどうするとか、みなとみらいをどうするとか、私の提案したのをやることで忙しくて煉瓦倉庫どころじゃなかったんだ。煉瓦倉庫の問題もでてきた。どうするか。私も初めはね、みなとみらい21の開発の一環として壊しちゃうのもあるかなと、実はちらっと思ったんですね。待てよ、横浜は個性がなくなっちゃってる。歴史の上で書かれている個性はあるんだけれども、物として残る個性がない。それは関東大震災でまず徹底的にやられちゃったわけです。東京よりひどくやられたわけです。それからまた、戦災で徹底的にやられました。第3にやられたのはアメリカ軍が全部都心を占領しちゃったんですね。建物壊しちゃったり変なペンキ塗っちゃたり、無茶苦茶にしちゃったわけなんです。それは一般の市にはないことなんですよね。戦災はあるかもしれないけれど。ひどい目にあったんですよ。だから全くないんですよ、ものが。お話だけで。で考えてみたら赤煉瓦倉庫。そのほかに赤煉瓦若干ありました、海岸通に。だから海岸通にまず残すことをやりまして、ある会社も一部分残してもらいました。やっぱり2度と壊れたものは造れない。横浜の個性、文明開化とか何とか言ったって、ただのお話になっちゃう。もうひとつやったのは、石造のドックがありますけれども、これをどうしても残そう。私はそう思いだしてやりだしましたら、これは港湾局の関係で、壊れる寸前なんですよ。はっきり言うと運輸省の中で、港湾と言うのは運輸省が圧倒的に力が強くて、もう壊すことになっているんですよ。青写真で。だから、それをどうするか。だから、勝負なんですよね。ある時、偶然に少し高いところから見ていたら、市長がいて、田村さん赤煉瓦残すといっているけど、あれ本気と言うから、私は本気ですよ。そこでまた考えたのね。市長もね、僕なんか横浜の生まれですから、とても素晴らしい市長なんですけれども、このことについては、僕なんか子供の頃からみてて、あんな古臭いもの何とも思わないよ、ということを言ってるんです。これはねえ、完全に壊れちゃう。どうするか。僕の下にいた企画課長に、あんたの仕事は唯一赤煉瓦倉庫が壊されないように港湾局を監視していることだ。港湾局っていうのは半独立なんですね。こういう中でも全然法律の建前も違いますし。企画課長もびっくりしちゃって、あんた他のことやったってあんまり能力ないんだから、しなくたってよろしい。これだけ監視してろ。極端に言えば僕はそういうことを言ったんだ。そういうことを言って、やっと残ってこれで数年経てば空気が変わると。だから、それは28年前くらいの話ですね。10年とか何とか言ってる、そんな時代の話ではないんですよ。もちろん、それはね、なぜ残すかということを言わなければ残りませんよ。だから、それは何となく残すことに意味があるなんてことを言ってられるのは、今の悠長な時代なんでね。そうじゃない。何かにしたい。もちろん私いろんなこと言いました。だけどそれは実際にいろいろ言ったからすぐなるわけじゃないですよ。10年ぐらい前から検討しているんではなく、30年くらい前から検討してるんです。言わなきゃ残りませんよ。残せませんよ。力関係なんだから。で、今壊れそうなものはないなんてね、随分悠長な世の中になって、のんびりして、だから、市民の関心もなくなっちゃってるんじゃないかな。僕なんか本当に残すか残さないかという勝負なんだからね。刺し違えるくらいの勢いがなかったら残りません。それにはやっぱりどうしたいということを言わなきゃ。もちろんお金の問題もあります。中身の問題もあります。それはたった今そのとおりにならなくたっていいんですよ。その思いが具体的に伝わってこなきゃ。それは相手がいるんですから、壊したい人が沢山いるんだから、コンテナゼーションが進んで港湾なんてあんなもの全くの無用の長物で、早く壊したいわけですよ。そういうのとどうやって勝負するか、市長までそう思ってる。運輸省もそう思ってる。じゃどうするかってね、だから、何となく残るでしょうなんて、随分舞鶴が、今の時代よくなったのか、舞鶴がいい条件なのかと思いますよ。本当僕の思いや、僕なんかでも民間からいきなり入った人間ですから、僕だって市民の一人の思いとしてやってる。行政の人なんかそんなこと思いません。たとえば港湾局の人なんか誰も思いません。公園の人なんか誰も思いません。当時、私一人で、市長も思わない。だから思わせちゃう、というぐらいのことやって、だんだんだんだんやって、世の中そういうもの古いものもいいなということになってきて、みんながどうやらやっと関心を持ってもらう。まず勝負しなきゃだめなの。しないで済んでて何となく残ってていいな、なんて、そんな単純なもんでは本当はない。時代っていうのは、まちって言うのは生きてますからね。必ず朽るものは、朽ちてくわけですよ。生きる意味がなければ、それは利用利用といってもね、ただレストランにするばっかりが利用じゃないですよ。残ってることに意味があるんだったら、そこに生きてる意味があるということ、積極的に言わない限り、それも利用のひとつなんだからね。それがない限り、つまり生きてない限り、残りませんよ。じゃ、どうやって生かすかですよ。生かすってことは、博物館に使うとか、ばっかりじゃない。いろいろ使い方があるでしょう。

水野信太郎氏)
 はい、ありがとうございました。はい、どうぞ。
中村禮子氏)
 舞鶴の住民の中村でございます。あの、私は二つの夢があります。この舞鶴のまちの赤煉瓦の建物を使うことの一つとして、今この舞鶴のまちといいますのは、ロシアのナホトカと姉妹都市です。それから中国の大連市とも友好都市です。そしてこの5月にはイギリスのポーツマス市と姉妹都市提携を結びました。それで特にイギリスとの関係の中で、あちらの海軍の倉庫と、こちらの赤煉瓦の倉庫群と、地形的にも非常に似ているし、こちらには海上自衛隊があるということ、あちらに海軍の基地があるということで、そういう関係で一歩今までと違った角度から、国際化ということで今このまちが少しづつ動いているような気がするんです。それでちょうどポーツマスの市長さんご一行がおみえになられた時に、色々なことが話題になりまして、その内の一つに、私は、ちょうどこれを記念してイギリスのパブをここにつくったらいいんじゃないかという気がしたんです。それはイギリスのパブをこの赤煉瓦の倉庫を利用してつくることと同時に、それからイギリスのパブというものの歴史的な背景とか非常に日本とは違ったお酒の飲み方があるので、そういうものをここに一つつくってもらえたら嬉しいなと思いました。それともう一つは、赤れんが博物館のことなんですが、もう5年たって展示部門だけで今ずっとれんが博物館が活動されて、そして今館長さんのお話から、入館者が非常に多いということと、他に訪ねる所がたくさんあって、素晴らしいなあって思って聞いていたんですが、本来博物館というものに対して、私は展示部門と、それから研究部門という大事な部分があるなということを思っております。それでこの博物館には研究部門がございませんので、折角ですから、世界でただ一つの赤れんが博物館といいまして、すごく売り物にしているのであれば、そこでただ一つの赤煉瓦に対する研究部門というのをつくっていただきたいと思います。そして特に工学系の方と建物を利用する民俗学的な見地とか、そういった色々な角度から赤煉瓦をもとにした研究部門をここに設けて、そうするとそこに研究者の方々が在中されれば、煉瓦の114あるというお話を伺いしました建物やいろいろなものをどういう風に残すかとか、利用するかとか、そういう風に他所にいつも頼んで、見ていただくとかいうことじゃなくて、このまち自身がそういうことを網羅してできるようになったら素晴らしいんじゃないかなと私は思いました。

水野信太郎氏)
 はい、ありがとうございます。話が二つぐらいに分かれちゃっているかなと思うんです。
 はいどうぞ。

竹内金蔵氏)
 今晩の主題は、赤煉瓦を生かしたまちづくりを考えるという題目が提案されてます。現在舞鶴市は自衛隊と引揚記念館と色々な事業としてやっていただいておりますが、この赤煉瓦倉庫の利用につきまして、いろいろと疑問がでましたけれども、一番舞鶴で劣っているのは情報が非常に他所さんより劣っているんじゃないかと思います。というのは、私はこの赤煉瓦にピントきましたのは、ニュースやドラマで小樽の赤煉瓦をよく見ました。それで舞鶴は赤煉瓦があるのになぜ小樽ほど宣伝されていないのかというのが私の一番の疑問やったわけです。ところが10年ほど前から馬場さんのお蔭で整備が進んで今日を迎えました。先日もTBSの月曜日のドラマで舞鶴の赤煉瓦がでました。非常に嬉しかったです。9時から11時までの蜃気楼という番組でした。蜃気楼というのは、引揚者が帰ってきまして、舞鶴の引揚記念館の前で昔々ロシアで苦労してきた戦友達を思い浮かべて、この赤煉瓦を見て、天の橋立を見て、それで富山の蜃気楼を見て、それが映画化されとるわけです。それで何も知らない人でも、あ、舞鶴に赤煉瓦があるんだということが、ドラマで知った人が大勢あるので、今後そういう機会をとらまえて、いろいろとこの赤煉瓦、引揚記念館、その他色々なものをひっくるめて、ドラマをこしらえてもらうようにプロデューサーにでもお願いしたらどうかと、そうすると一人でも二人でも多くの人がこの舞鶴に行ってみようと、我々が小樽に行ってみたいと思ったのと同じような気持ちになるんじゃなかろうかと思います。地元地元といいましても9万そこそこの人間がもう限界なんです。では、どうすればよいかと、やっぱり日本全国の人が一人でも多く舞鶴に訪れてもらうように仕向けるのが一番いいのではないかと思います。それにはやっぱりテレビを通じて日本全国に赤煉瓦を宣伝してもらえるようなドラマをこしらえてもらえれば非常にええんやないかと思います。舞鶴市も映画俳優の方にいろいろのことをお願いしておりますので、また、京都の専門のプロデューサーもおられまして、祇園やそんなとこばっかし映画化なってますが、一応一遍なっと舞鶴市の赤煉瓦、引揚記念館を素材としたドラマをこしらえていただければ、少しでも宣伝できるのではないかと思います。それが赤煉瓦を生かしたまちづくりの一端になるのではないでしょうか。

水野信太郎氏)
はい、ありがとうございます。ほかの方でご意見ございませんか。
やっぱりいらっしゃいますね。

京都市民)
 ちょっと意見というほどのことではない、私京都市民でございまして、舞鶴は以前から愛着を感じているものでございまして、京都府民として思うんですけれども、最近長浜とか彦根とか近江八幡とか滋賀県の方が様変わりをしてきているということで、非常にあちらはいろんなまちづくりが進んでるんではないかと思います。そんな中で舞鶴市の方は赤煉瓦の建物が多くて、しかも、これが群、一つのグループを持ってる、単体の建物じゃなしにですね、先ほどおっしゃったいろんな倉庫があるし、それから軍需施設も残っているということで、これをブロックとして活用するような方法はないものかというふうに私思ったりします。煉瓦の建物でちょっとイメージしますと、先ほど先生に見せていただきましたように、小樽の煉瓦とか函館、札幌も煉瓦を使っております。横浜とか神戸でも煉瓦を使ってるんですけれども、舞鶴というのは舞鶴のもっとユニークな使い方はないものかと私どもは思ったりもするんです。先ほどもお話を伺っておりますとご見識のある先生方のご説明が多いんですけれども、私こちらに来まして、舞鶴市の市民の方がどんな風に煉瓦を誇りに思っておられて、愛着を持っておられるのかなということに、私非常に興味があります。先ほどこちらのご婦人がお一人だけ煉瓦についてすごく愛着を持っておられるというお言葉をいただきましたけれど、田村先生もご指摘のように舞鶴市のまちの方、市民の方がいかほどに煉瓦に愛着をもっておられるか。失礼な言い方をしますけれど、引揚記念公園にしましても50年前の遺物であります。そういうものにしがみついていても、21世紀に向けての舞鶴のまちづくりに僕はならないんじゃないかと思いますね。これからはやはり小学生とか中学生、これから育ってくる子供がどういう風に舞鶴を考えるか、それから先ほど長浜や彦根という名前をあげましてけれど、この北近畿に位置している舞鶴にやはり大阪とか神戸とか京都からここにいかに人を呼び寄せてきて、ここにお金を落としてもらうかということが、舞鶴のこれからの可能性じゃないかというふうに思ったりいたします。ですから私も京都市民の端くれといたしまして、京都のちょっと宣伝になりますが、明日京都祭りというのがありまして、私も鴨川の土手でブーツでちょっとやるんですけれど、やっぱり市民とか町衆という者がいかに自分のまちを愛しているかとかですね、まちづくりを考えるかということが随分大切なことだと思います。そんなことで折角こちらへまいりましたので、市民の方がどういうふうに考えられているのかなという意気込みをもう少し感じたかったなという印象を持ちました。ちょつと失礼かもしれません。以上です。

矢谷明也氏)
 今引揚記念公園のことを少しおっしゃいましたので、少しだけ反論したいと思うんですが、引揚記念館にしがみついていることが、まちづくりにつながらないということは私はまったく思いません。そうじゃなくってですね、終戦直後から30年代までに舞鶴市の市民がですね本当に力を合わせてといいますか、みんなが協力をして引揚者を向かえたという今そのPRが何もなされてないだけなんですね。ですから、あれは何も押し付けられてやったとかですねそういった暗いイメージだけじゃなくて、一つの戦後の舞鶴の文化として、あれだけの引揚者を受け入れたということを、もっともっと舞鶴市民は誇りに思っていいんだと思うんですよ。ただ、誇りに思おうねという話がまだ出ていないもんですから、非常に暗いイメージでそれにしがみついててもまちづくりにならないという印象をお持ちかもしれないですけれども、そのへんは発想の転換でですね、もう少し舞鶴の中で議論をすべきだろうというふうに思います。それからもう一つ舞鶴市民が赤煉瓦についてどれだけの愛着を持っているか、これは私がいうのも失礼かもしれませんが、ほとんど持っていないと思います。実は私の父に聞きましても、赤煉瓦倉庫を残すという話が出ました時に、あんな黒い倉庫を残してどうするんだというふうに言いました。といいますのは、迷彩色に当時塗っていましたので、終戦前から終戦直後までは迷彩色を塗っていましたので、黒い建物という印象がございます。ですからそういった点では、一つのまちづくりとして、煉瓦馬鹿の馬場というふうにいつも呼んでましたけれども、馬場さんのひとつのヒューマンパワーといいますか、その力で今やっとでこの場に来たんだと思うんですが、まだまだ、やはり馬場さんにお願いしたいのは、舞鶴市民がいかにその煉瓦というものに愛着を持つか、まだ取り敢えず残そうね、というところまでいっていないと思うんですよね。誰かがやればいい、先ほど女性の方が言われましたですけれども、そういうのがあってほしいと言うだけで、是非やりたいという話がまだ出てこないんですよね、市民の中から。ですから、そうじゃなくって、やはり、立花さんが言われたように、横浜なら横浜の企業でやりましょう。今まで舞鶴市は、誰かやってね、なんですね。こうゆうお店が来てね、来てくれたらうれしい。小樽はガラス館があるからいいけど、何で舞鶴はないの、じゃなくって、自分達の街なんですから、自分達でつくりましょうよって動きがまったく出てこないのが、残念ながら現実であり、そのことをちゃんと認識するべきじゃないかなと思います。それが今の煉瓦の保存ということも、行政にまかせよう。あるいは、どっかのよその企業が来てくれたらいいのに。ビールのレストランがあったらいいのに。ワインの方がいいよ、とか。そんなことばっかり、夢物語で言ってて、自分達の街なんだから、自分達で考えましょうよ、という動きをですね、是非今後馬場さんの方にお願いをしてですね、展開をいただきたいと思います。以上です。(拍手)

水野信太郎氏)
 この際、発言しておきたいという方、いらっしゃいませんか。

山本氏)
 失礼します。先ほど水野先生の方から、ご紹介がありました、淡路島の洲本の方から参りました。まだ、大きな財産を持たれている舞鶴市の方に、物を無くしてしまった市民の立場から一言。我々の経験を申し上げますけども、先ほど紹介のありました鐘紡の工場、今おっしゃってた方もそうなんですけども、いわゆる企業の施設というのは市民にはほとんど公開されていませんでした。ですから、鐘紡の5ha以上の煉瓦建造物、市民の目にさらされた時は、壊された時でした。最後に残ってたあの塵突、あれを壊すという1週間前になりまして、情報が市の方から出まして、慌て馬場さんの方にご紹介いただきまして、水野先生に急きょお忙しい中来ていただいて、取り敢えずどんなものなんだと我々にも教えてくれということで、急きょ調べていただいた。その2週間後には、5haの建物の大半が無くなってしまいました。企業とか先ほど岡田先生のレポートの中にもありましたけれども、舞鶴に残ってる残ってるといいながらですね、群で残ってるのはいわゆる企業の敷地の中に、企業が利用しながら残ってる。それから、自衛隊の施設の中に自衛隊が利用しながら残ってる。企業は経済優先です。自衛隊の方も渡り鳥であちこち行ってる、いわゆる官の方には、地域とか物に対する愛着を期待できないと思うんです。我々物を無くしてしまって、あ〜あという痛切の念。初めてわかるということがありますので、そのあたりをこういう話し合いを機会に、舞鶴の方に今一度考えていただいたらと思います。

水野信太郎氏)
 他にどなたかいらっしゃいますか。そろそろ今まで皆様方からお聞きしました話を、まとめておきたいと思います。舞鶴において煉瓦を生かしたまちづくりなのか、人づくりなのか、まち使いなのかわかりませんが、一つはとにかく煉瓦の建物が沢山ある。必ずしも関心はあまり持たれてない。岡田先生からはまちの真中、北吸のものはみんな知っているでしょうし、珍しがらないけれども、見に行きづらいところにもありますよと。それからまちの真中にあっても、先ほどのお父さんは、プールのところですね、水源池のところ、あれは知られてないじゃないか。そういうようなことを、一つの課題にしますと、とにかく今後は見る機会、見学会と言いますか、そういうことをして、煉瓦をとにかく知る。知らないことにはありがたい物なんだか、珍しいんだか、無意味な物なんだか、それもわからない訳で、とにかく知る。知るためには見に行かなきゃいけない。それをやっぱりもっとやらなければいけないだろう。というようなことが一つ話題にのぼったと思います。それから、今何かに再利用する話がありました。再利用というのは近代建築史の世界で、その建物が造られた時の使い方、たとえば学校でしたら教室として造られたわけですが、学校以外の使い方に変えることを再利用と言うんです。その再利用の目的が今は見つからなくても、あるいは仮の再利用方法の提案であっても、とにかく残しておかないとどうしようもないよ。というお話が田村先生からも、洲本からおいでくださった山本さんからもございました。無くなってからじゃ後の祭りだぞということですね。お金持ちの子供に生まれると自分の家にお金があるのは当たり前ですね、馬鹿息子が売り家に出してから、じいさんて偉かったなあ。しっかりしておけばよかったなあ。ということになりますわね。無くしてからしまったと思う。とにかく残しておかないとどうしようもないですよ。114あるって大きな顔しても、いつ半分に目減りするかわりませんよね。銀行だって潰れる時代ですからねえ。煉瓦だって、どんどん半分ぐらいになりますよ。3分の1くらいになるかもしれません。舞鶴の場合、なぜ残ってきたかというと舞鶴の人には大変失礼ですけれども、舞鶴は戦後の高度経済成長に乗らなかったのです。戦前大きなまちでしたけれども、その後ジリ貧だったんです。ジリ貧だったお蔭で超高層をどんどん建てるということが無かったから幸いしたのです。もし超高層をどんどん建てることになれば、煉瓦の建物は大きいですからね、面積が大きいですから、どんどん壊されたはずですよ。北吸が新宿の副都心と同じようになってるのがよかったわけではないという方々が、今日集まっているわけですね。とにかく何か残しておけと。そして3つめで色んな方からご意見をいただきましたけれど、過去の財産はそれはひと財産なんだけども、その良さがわかって、そしてそれが残せたとしたら、21世紀に向けて舞鶴らしいユニークな煉瓦の使い方をというようなことを京都市内からお出でくださった方が、舞鶴市民にぶつけておられました。ほんとに洒落たことをやるな、舞鶴という煉瓦の集積地、あそこだから出来たんだろうなというように、自慢できるようなことをすべきです。ただお金儲けしようとか、商業化しようとか、逆に市役所に任せていかにも勉強のための施設、博物館にするとかいうだけではない方法です。それ意外の、市民が幸せになり、市民が他所へ行って自慢したくなるような、これからの使い道を探っていくべきだと、そんなような話題だったのかなと、私は3つぐらいに感じました。先生最後にどうぞ。

田村明氏)
 言いたいことは色々あるんですが、私は最初かなり刺激的に言ったのは、話を面白くするため、いくらか皆さんの声があがってきていいんですけれど、意外に舞鶴市の方は少なかったように思います。でも、まあ、考えておられることはあると思いますんで、いくらかは役割を果たしたんじゃないかなと思うんです。自分のまちのことは、自分で案外わからないんですね。自分の持ってる価値というのは、人が見て初めてわかる。自分自身がずっとその中に埋没していると良いのか悪いのかさっぱりわからない。でも、やっぱり自分達が自分達の価値を発見しない限り、まちなんか絶対良くなりませんね。そのためにはどうするか。勉強するのもいいんですけれども、勉強だけじゃなくって、やっぱりいろんなところを見に行くとか、ああ、そんなことってあるのか、こんなことがいいのか、何でもないようなことですね、そういうことやってる人達がまちづくりの中心になってるのが多いんですね。まあ、一例でいくと、赤煉瓦には関係ないんですが、例えば湯布院なんていう町が大変有名になっている。これはただ自然だけしかない。別府のまちはごたごたしてる。何にもない自然がある。そこが開発されそうになっちゃった。この自然って何にも価値がない。何でもないと思ったけれど、案外これは価値があるんだと。これは何とかくい止めようとして、これをくい止めた。くい止めるだけではなくて、じゃ自分達の町はどうなんだ。見直して見るとあんまり大したことはなかった。それじゃひとつこの町をね、もっと価値あるものにしようじゃないかという運動に展開していく。これは市民の動きなんですね。市民のその人達が、でも初めはよくわからなかったですけれども、それから気がついた。それから小樽という名前もしばしば出ました。小樽の場合も市民の人達が運河、運河なんて汚い運河だったんですよ。今見りゃきれいなんですよ。どうしようもないゴミ溜めみたいなとこだったんだ。赤煉瓦の倉庫とか何とかいったって。でも、ここに価値がある。小樽の繁栄から没落した歴史も含めてここに価値があるということを思い出した市民の人達が、ものすごい粘り強くやったわけです。北海道というところは、特別お上なんですよ。ここも軍港だから近いものがあるんですけれど、開拓史という時代からお上が絶対的に強い。北海道開発庁とか何とかそんなものに盾突いたら大変なのを、それにモーレツに盾突いて、埋め立てして道路にするのを反対運動した。反対運動の中で揉め事があってその会長さんも自殺しちゃう。それでも尚且つ、それを引き継いだ峰山さんという女性、すごい肝っ玉おばさんがいて、この方がとにかくまとめて、それを続けたわけです。それで時代も変り、やっぱりこれはまずいんじゃないかなってことを反省して、現在のような形になったわけです。これはその人達の熱意がなければ、自動的に役所が、結果的には役所がやってますよ。しかし、そういう市民のまちをどうしても好きなんだと、この町が何が何でも汚かろうと何だろうと好きなんだと、そういうことをやらないで、とおり一遍のね、どこにもありふれたようなまちにすることは絶対反対だという人がいたから出来たんです。今はやった人達は皆んな俺がやったみたいなことを言ってますよ。でもあの運動がなければ、絶対に出来ないんですよね。  
 それから黒壁なんかが大変有名になってます、長浜で。これはどうしようもないようなものだったんです。これは割合うまくやってますね。市もお金を出して第3セクターやって、しかも民間の方々がそれ以上のお金を出して、これを運営してやった。市が主導しないんですね。いわゆる第3セクターっていうのは、市の悪いところと民間の悪いところがやるのが多いんですが、これは、市がお金を出したけどそんなに口は出さない。民間、ところが、これもそういう商店や何かの素人が、玄人じゃないんですね。むしろ素人がやってんです。素人がまったく新しい発想でやったから、ああいう風に成功してるわけで、今まで価値がないと思っていたものが、みんな価値がある。みんな黒壁に入りたいなんて言い出して、その辺の空家みたいな建物が我も我もとなっちゃうわけですね。これはやっぱりそういう風な非常に発想力のある人達がいるわけです。やっぱりこれも市民の力を掘り起こしたわけですよ。市民の力をいかにして掘り起こすか、いろんな条件があります。自ら自発的に動く場合もあるし、その辺にすごい人間がいてやる場合もある。
 話が変わって恐縮なんですけれども、横浜でね、ベイスターズが38年ぶりに優勝した。38年ぶりじゃないんですね。横浜という名前をつけたのは21年前で、私が川崎から持ってきて、その時は野球場を造る。その時には野球場に金をかけるのは絶対反対だ。お金もない。それで私は市民のお金を集めて株式会社をこしらえて、そして野球場をこしらえちゃったんですよ。市に寄付しちゃって。市民の力なんですよ、全く。そして野球を持ってきました。スタジアムでマルハって大洋だ。大洋って名前じゃいかん。横浜という名前で地域名にしろと。別にこちらは企業のマルハの缶詰、どうでもいいんだと。横浜ホエールズにするって言って、約束したんだけど、どうしてもオーナーが、大洋という名前が捨てきれないから、妥協案で横浜大洋ホエールズに21年前にしたんですね。6年前に私の言った通り横浜ベイスターズって企業名を外したものになってきて、だから、横浜市民が燃えて、優勝さしたとも言えるんであってね。だから市民が実際つくって、市民がものにして燃えてるわけですよ。僕は役所にその当時いましたが、役所がいろいろシナリオを書いて私がね、いろんな連中と根回ししました。大洋のあれとか、中田さんとか、堤義明とかいろんな連中と交渉してはやりましたよ。それは裏方の話なんで、実際にやったのは市民が燃えたからなんですよ。そういう熱が20何年か続いてるからね、38年前の川崎でやったマルハの話なんてほんとどうでもいいんだよね。やっぱりそういう地域性というのが、これから重要なんですね。
 地域というのは誰がつくるのか。市長とか市役所の職員とかいろいろいますけどね、やっぱりね、市民の人達が自分達がつくってんだと。自分達が市長さんも選び、議員も選び、そういう人達がちゃんとうまい運営をやり、自分達も4年の選挙だけでほったらかしじゃなくて、常時できることは監視し、あるいは監視するだけじゃなくて自分達で出せるものは出し、お金でも出すのなら出し、そういうことをやっていけばね。赤煉瓦という素材はあるわけですよ。その素材の価値を発見するのには、やっぱりもっと見なきゃいけない。その中から発見して、馬場さんという方がいて、方々見てきたら俺のところにもすごい資産があったんだということをどこかで発見するわけよ。初めからそう思っていたわけでじゃないけれど、やっぱり見るうちに発見する。しかし、一人二人だけじゃまだ足らない。だから、ここにいる方々、みんな方々へ行ってくれ。なるほど、やっぱり俺達は他にないすごいまちに住んでんだなという自覚を持つ。自分のまちに誇りと愛情を持つ。何にもないところだって、何にもない自然だって、値打ちがある。値打ちがあっちゃうんですよ。うまくそれをやれば。そういう素材を持ってるということ。しかし、煉瓦だけで持つわけではないんですよ。私は先ほどまちは生きてると言いました。生きてる中での煉瓦なんですね。煉瓦はその中の一つの素材なんです。私はまちづくりが専門だから、やっぱりもっと広い意味で。しかし、その煉瓦が要所要所で、私もだから煉瓦がさっきのように、横浜市長みたいにずっとそこに住んでる人は、意外に価値を認識しないということがよくわかりました。だけど、やっぱりそれは一つの素材として生かしてるわけで、もっともっと沢山それをもとにして、何かが起きてくるということに、一生懸命残すということもいいんだけれども、残すだけじゃなしにこれを材料にして何かもっと出来るじゃないか、まぁ饅頭もいいんだけれどね。饅頭だけじゃなくて、これを素材にした何かまち全体のイメージアップをする。そういうものから別な何かを生み出してくるっていうところへつながってくるというのが、ほんとのまちづくりだと。その中の重要な素材をいっぱい持ってらっしゃる。それを皆さんが自覚して、そして一生懸命ただ守っていればいいんじゃないんですよ。やっぱり使っていく。いい意味で生きてるまちの中でこれが生きてる。そして市民の心の中でそれが生きてないと駄目ですね。ものがあるっていうだけで、ああ知らないよ、あんなものがあるよじゃなくって、自分たちがこういう煉瓦のまちに住んでる。自分達は楽しいな、嬉しいな。舞鶴の出身だっただけでもね。ドイツ人何かはみんなどこの写真だなんて、大自慢して言うわけですよ。もちろん住んでる人もそう、出身者もそう、そして舞鶴の話を語る。その中の重要なところとして、赤煉瓦がある。赤煉瓦だけじゃありませんよ。もっともっとそれを膨らましたものをどうやってつくっていくかっていうのが、まちづくりじゃないかな。それの一番重要なキーになるのが、赤煉瓦だというふうに私は考えます。

水野信太郎氏)
 はい、ありがとうございました。ちょうど9時と予定通りですので、マイクロホンお返しいたします。ありがとうございます。

司会)
 舞鶴をはじめ、各地の赤煉瓦の現状や問題点、赤煉瓦を生かしたまちづくりにつきまして、大変貴重な意見をいただきました。これらのご意見は今後の赤煉瓦を生かしたまちづくりを推進するうえで、大変大きな助けになり、また、励みになると思います。先生方どうもありがとうございました。皆様今一度大きな拍手をお送りください。以上をもちまして、赤れんが博物館開館5周年記念赤煉瓦フォーラムin舞鶴を終了させていただきます。皆様どうもありがとうございました。

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