事例報告
「全国の赤煉瓦建造物活用事例」

司会)
 次に赤煉瓦ネットワーク事務局長の立花恒平氏に、「全国の赤煉瓦建造物活用事例」と題し発表を行っていただきます。立花氏は、1951年広島生まれ。東京農業大学卒業。現在横浜市役所緑政局に勤務されておられます。1991年横浜まちづくり研究会の活動から知り合った、全国7団体・約1000人の仲間とともに「地域の歴史と文化を生かした個性あるまちづくり」を目指して「赤煉瓦ネットワーク」を設立されました。現在37団体・約1300人となった赤煉瓦ネットワークの事務局長として活動されています。

立花恒平氏)
 皆さんこんばんは。立花でございます。今日はですね、このわざわざ帽子を被ったのは後ろで赤煉瓦ネットワークという帽子も販売していますので、ぜひ雨が多いという舞鶴で皆さん被っていただきたいな、弁当忘れても傘忘れるなと、傘忘れても帽子があるから大丈夫というかたちでお願いをしたいと考えております。それでは15分という時間が非常に厳しいものがございまして、事前の打ち合わせでも大変な警告がございました。すぐにスライドに入らせていただきたいと思います。もう一つ名前を持っておりまして、講釈士・赤煉瓦亭というのを持っておりますので、今日は、こちらでいきたいと思います。
 素人講談ですので、講談初めて2年という、こういう小学生が付けるこういうのがありまして、いきましょう。
 活用事例ということでございますので、北海道は江別でございます。旧石田邸と申しまして、煉瓦会社にお勤めの石田さんがですね、はめ煉瓦つまり品質が多少ちょっと市場に出すのは無理だなという煉瓦をですね、集めて自宅を建設いたしました。で、都市計画道路にぶつかりまして、赤煉瓦は当然壊される運命になったのでございますが、江別はなにしろ煉瓦の町でございます。今でも、煉瓦を作っとりまして、窯業6社が煉瓦を作り続けております。で、その煉瓦をもったいないということで、都市計画道路にぶつかったと、どうしょうというので大作戦が敢行されました。この煉瓦を引家をいたしました。それで30メートル程動かしまして、今は江別市のガラス工芸館という市民がガラスの工芸をできるという場所になっております。はい、これはですね、江別は窯業の町、煉瓦の町ということでして、セラミックアートセンターというセンターが江別市にできております。やきものの町でもありますので、そこへですね、我々赤煉瓦ネットワークのメンバーが、視察にまいったときの映像でございます。
 はい、江別ではですね、喜多方ラーメンはおいといてですね、この左側のこれパンでございます。前にここの赤煉瓦ジャズ祭でも売ったことがありますけれど、北の煉瓦パンというパンが出来ております。ちょうど煉瓦サイズの麦を付けたパンでございますが、煉瓦の活用事例ということでございますが、活用を盛り上げるためにこういうグッズが大変必要なんですね。後で舞鶴の例も出てまいりますが、こういうものもあると、ご承知いただきたいと思います。
 はい、まず、食の文化というか、食べ物に関連すること、飲み物に関連することとなりますと、サッポロビールの工場がですね、札幌ビール園という形で煉瓦造りのものでございますが、再生されております。これはジンギスカンが大変有名でございますが、ジンギスカンはなぜ、商売にとっていいのか、これはですね、実はここの社長さんに聞いてまいりました。調理師がいらないんです。肉を切るだけでいい、野菜を切るだけでいい、調理師を雇わなくていいから、非常に客単価を低く抑えれるし、収益も上がるというふうに言っておりました。これなぞは一ついいんではないかと思いますが、肉じゃがでもよろしいんですが、肉も考えていただきたいと思います。はい、これはですね、函館でございまして、旧函館郵便局、魚町食品という所が中心になりまして、商業施設を展開すると、これは官営の建物だったわけでありますが、払い下げまして使っております。はい、所は福島県喜多方でございます。喜多方ではある時に大火がごさいまして、大きな火事がございまして、とにかく自分所を火事から守ろうということで、この三津谷という所では煉瓦建築が盛んに作られました。煉瓦士・田中又一という人が明治の初めに、とにかく東京に出て煉瓦を学んでこようと、東京に出てまいりましたが、煉瓦の作り方、積み方を教えてくれる所が、なかなか見つかりません。で、ある日途方にくれて歩いてまいりましたら、東京に出て1年かけてやっと、煉瓦を積んでいる現場にあいまして、そこで即座に入門いたしましたのが、今の清水建設・清水組でございます。その清水組で修業いたしまして、数年後に喜多方に帰りまして、喜多方周辺の煉瓦をほとんど積んだと言うものでございます。
 はい、その喜多方のですね、田中さんの娘さん田中フミ子さんが、田中又一さんを顕彰する意味でお作りになったのが、この喜多方煉瓦館でございます。田中又一記念煉瓦館、なにやらエンタシスの柱がたっておりまして、ものすごい設計でございます。「りっぱなけんちくですねー」田中フミ子さんに申し上げましたら、「これ、内の娘が設計しました」とおっしやるんです。つまり、三代、親子三代にわたって関わって作った喜多方煉瓦館でこざいます。これは、喜多方においでの節は是非見ていただきたいと思います。田中又一さんの作った煉瓦の建築物がどこにあるか、どんな建築物であるか解ります。
 はい、これは、美しい女性の方を見ちゃだめです。これは内の奥さんですから。え、この右の下ですね。煉瓦の使い方、このような使い方もあるということで、これで4個消費されているわけであります。愛知県の煉瓦組合の方々、こういう販路も開いていただきたいと思います。
はい、煉瓦に狂っとりましたら、ある時愛知県でミニ煉瓦をもらいましたので、煉瓦の小学校があってもいいんじゃないかと、内の娘が小学校の1年の時作りました。
はい、これは群馬県は富岡、歴史で習いましたでしょうか。明治5年、富岡官営製糸工場、製糸場と言うんですね。生糸を紡いでやるところでありますが、これは、赤れんが博物館と同じ、フランス積み木骨煉瓦造でございます。そして、妙義山の御用林から切り出した立派な材木を中心に作っております。来年の赤煉瓦ネットワークの大会は、この富岡で行われる事になりましたので、是非とも赤煉瓦ネットワークの会員になって来年は富岡に行こう、ということをお願いをしたいと思います。これはまだ、工場は閉鎖していて、まだ再利用はされておりません。今後検討ということでございます。
 はい、これは富岡にほど近い、昔の横川から軽井沢に登っていくアプト式鉄道の基礎になりましたアーチ橋でございます。これは鉄道で初めての文化財ということで、重要文化財ということで登録をされまして、今後の活用を待っているところでございます。
はい、これはですね、桐生市有隣館という名前が付いております。これは、矢野醸造本店というですね、醸造屋さんが倉として使っていたものでございます。これを使いまして、中で市民の芸術文化の発表の場というような形で、国土庁の国土形成事業という補助を受けましてやっております。こういう使い方も、この市政記念館と似ておりますけれど、やることができるんじゃないかというふうに思われます。
 はい、これはですね、東京は小平にありますガスミュージアム、東京の市ヶ谷だかあっちのほうにありましたガスの変電室を持ってまいりまして、展示場にしております。資料館という形でやっております。
 はい、これは今活用を待っている、今日いらしている田村明さんは、横浜でこの赤煉瓦倉庫を見られて「これはやっぱり残した方がいいんじゃないか」と言うことで色々と策を練りまして残ってまいりまして、私が後に活用計画の担当をいたしました横浜の新港埠頭にある倉庫であります。今、活用の時を待って、工事をやっております。
 はい、これはですね、ちょっと面白い話なんですが、富山県の入善町という町がございます。これはですね、もともと水力発電所でございます。これを水力発電所の器が非常に古くなりましたんで、じゃ新しく隣に似たようなのをコンクリートで煉瓦を張りつけて造りまして、じゃこっちをどうすると、元の水力発電所をどうするということになりまして、町長さんがですね、「アートスペースちゅのがいいんじゃないか、芸術の館にしょう」と言うことで、「アートスペース」という名前を付けまして芸術の展示場にしてるんですね。私たちは「アートスペース」と言うしゃれた名前だなあ、いいなぁて、入りましたら、中はこのようになっております。水力発電所の時の導水管がそのまま、ぼぉーんと出ていまして、これちょっとこっちは見学者用ですが、こっちは芸術作品なんですね。アートスペースってしゃれた名前でございますがって、町長が気に入ってまして、だけど地元の人はそう呼ばないんです。というんですね。なんて呼んでます?「発電所美術館」、行政がいくら格好付けて、名前付けてもだめなんです。市民の方々がどういう気持ちでこれを迎えるか。と言うことが大切なことでございまして、すたすたすたと、この館から出まして振り返ってみますと、もう既に木の板に黒々と「発電所美術館」という名前がかかっておりました。
 はい、これはですね、最近仕入れた材料でございます。福井県は敦賀市、にゅうよくスタンド石油てのが最初に造った煉瓦の倉庫でございます。今は、大和高橋ていう会社がすごいですね、北前船の伝統は生きておりまして、北海道の優良な昆布がこの中にぎしぎしございます。
 はい、これはですね、旧室邸というこれも敦賀でございますが、室さんという所の住宅、煉瓦で住宅なんかあるのかと思うんですが、江別に市営住宅あり、敦賀に室邸ありと言うことでございまして、住宅でございます。
 はい、これはですね、愛知県は半田、昔、カブトビールというビールが、名家ソニーの盛田家とミツカンの酢の中埜家の間に生まれました盛田善平(ぜんぺい)を中心として造られました、旧カブトビールというビール工場でございます。最近、今日あたりの新聞に大分載っておりましたが、その後中島飛行機が使いまして、日本食品化工が使ってですね、現在、我々と地元の方々の努力と熱意が実りまして、半田市が40億円をかけてこの土地含めて買収をいたしまして、今、活用案を練っているところでございます。どのようなものになるか、大変楽しみでございます。次行きましょう。
 これは、明日、赤煉瓦ネットワークの総会が開かれる大阪の、ここで開くわけじゃないんですが、中之島の公会堂でございます。これは取り壊しという話があったんですが、大阪の方が頑張られて、朝日新聞も後援してこの公会堂を守ったという事でございます。
はい、これはですね、大阪の住友倉庫、煉瓦なんですけれど、その煉瓦の空間を使いまして、アートギャラリーとデザインの事務所を開いている方がいらっしゃいます。真ん中にいらっしゃるAD&Aの駒田さんという方でございますが、竹村さんという方と二人で、このアートギャラリーを使っておられます。明日からはじまる赤煉瓦ネットワークの赤煉瓦大阪楽会いうところで、交流会の会場になりますものが、その次でございます。
はい、このようなですね、前衛的な芸術作品を煉瓦の建物の間に屋根を架けて、その中で両方煉瓦壁なんですが、ここの効果と同じようなスペースなんですが、そういうことをやっております。アートスペースと言うのもいいですよね。
 さて、ご当地、御存知の赤煉瓦饅頭とティーケーキ「赤煉瓦浪漫」、私は全国にいくたびに、ここの菓子しか買っちゃいけないって言っているんですが、この赤煉瓦がまだ引揚記念館よりもなんにもぜんぜん有名でないときにですね、この二つの赤煉瓦饅頭は東舞鶴の東月堂、西舞鶴では双鶴庵のティーケーキ、この二つを冒険的にもむちゃくちゃ売り出しまして、そのお陰でですね今日の赤煉瓦の隆盛があるということでございます。是非、このお店から明日お帰りの方はかっていただきたいと思います。それから、舞鶴、どんどん赤煉瓦の町になってまいりまして、
 はい、次のような煉瓦の産品も出てまいりました。舞鶴の町を歩きますと、赤煉瓦倶楽部だの、赤煉瓦物語だの、あっ、もうこんな時間になりましたか。
 はい、次行きましょう。よく御存知の事は省きます。これはですね、大阪は川口教会でございまして、赤煉瓦ネットワークの大阪楽会が開かれますが、震災でですね、この間の震災で塔の部分が倒壊したんですが、皆さんの寄付金によって見事立ち直った教会でございます。
はい、これはあの、広島県の江田島、はい、これは自衛隊が使っております。はい、これはですね、愛媛県は保内町という所で、銅の精錬をやった滓を固めて煉瓦にしているんですね。それをもう作ってないんですが、これを自分所の産品だっていうことで、敷地に敷きまして、皆さんにPRをしているという例でございます。
 はい、これはですね、保内町の中で見つけた煉瓦の使い方、船に重石として使われていると、是非、舞鶴でもですね、こういう使い方も含めて多様な煉瓦の検討をしていただきたいと思います。本日はこれにて終了いたします。ありがとうございました。

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