ドクター矢谷の煉瓦リポート 中国・大連市

大連(中国東北地方)の煉瓦
 20世紀初めの中国東北地方には3種類の煉瓦があったといわれている。元々在来の煉瓦は、日乾煉瓦と灰色で焼成煉瓦の2種類である。いわゆる赤煉瓦は、当時ロシアによってもたらされたと言われている。
 19世紀末からの鉄道建設が始まると、煉瓦製造用の窯が各地に造られて赤煉瓦の製造がなされるようになった。
 例えば、哈爾濱には当時2基のホフマン窯が建造され、大量の赤煉瓦が製造された。製造個数は年間1200万個で、当時の日本国内では年間8560万個であったから、いかに中国東北地方で多くの煉瓦が必要であったかがわかる。
朝鮮銀行大連支店 朝鮮銀行大連支店
 1920年竣工 ルネサンス様式
 鉄骨煉瓦造3階建
 設計者 中村興資平
旧大連ヤマトホテル
旧大連ヤマトホテル
 1914年竣工 満鉄本社の建築係による設計
 満鉄直営のホテルであった。
 当時、本格的三層構成の外観としては初めての建物である。

ポスト ヤマトホテルの前にある愛着を感じるポスト
旧横浜正金銀行大連支店
旧横浜正金銀行大連支店
 1909年竣工 妻木頼黄+太田毅設計
 満鉄創業時にはこうした洋風の建物が多く建てられた。
大連駅
大連駅
 上野駅を模したといわれている。
旧大連民政署
旧大連民政署
 (大連を管轄する行政機関)
 1908年竣工のゴシック様式
 外壁は現地で製造された煉瓦が使われているという。
旧満州鉄道本社 日本の「満州経営」の尖兵となった旧満州鉄道本社
満鉄が営業を始めたのは1907年4月1日である。
旧満州鉄道本社 旧満州鉄道本社
  これらの建物は旧大広場(現中山広場)に面している。
 中国ではこうした建物を、遺物としてではなく都市の遺産として捉え、近代建築として保存がされている。
大連市役所 その他中山広場に面する建物
大連市役所
 1919年竣工
 松室重光設計 
関東州逓信局 関東州逓信局
 1917年竣工
 松室重光設計 
この2つの建物は中山広場で向かい合う位置に建てられており同一の設計者がこうした広場で向かい合う位置に建物を建てることは今も尚、大変珍しいこととされている。
建物取り壊し 建物取壊
 煉瓦造の古い住宅群の区画が短期間のうちに取り壊され、現代的な高層のアパートに建て替えられていく。
 かつては日本人達が住んでいた住居群である。
 語り尽くせない様々な歴史的背景の中で、多くの王朝が都市の破壊と復興を繰り返し、多様な民族性は都市形成や建築文化に影響を及ぼし続けてきた。そのキーワード全てが磚、つまり煉瓦である。
 特に東北地域に独自の都市形成がなされてきたことは、多民族性による独自の文化的都市形成であるが、構成される建築様式の全てが煉瓦であったことは知られていない。
 清朝という時代を知る人は多い。その清朝を統治したのは今の漢民族ではない。少数民族である満州族が中国全土を統治し形成した。現存する故宮(宮殿)、陵(墓)、民居(住居)といった清朝期の建築はそのほとんどが煉瓦建造物である。
 中国における建物保存に関しては、修復・保存・活用・再生について、その必要性を見直す時期にある。周辺諸国が結果として失敗し続けたような歴史的環境保存を繰り返してはならない。歴史的環境の保存は単に歴史主義的な哀愁だけではいけないことをもしかするとこの日本が教授すべきなのかも知れない。歴史的環境の保存と共存した都市計画が未来永劫の発展の基盤となるはずである。

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